【全文】ベガルタ仙台 渡邉晋監督 退任会見 後編

―ベガルタで歩まれてきた19年間、サポーター、クラブ、地域の皆さんと歩まれてきた19年間だと思います。その皆さんに対して思いを聞かせてください。

「これも一から話すとたぶんものすごい時間になってしまうと思うので…。ありきたりな言葉だけど本当に感謝しかないですよね。うん。彼らの声援で勇気づけられたし、時には叱咤で奮起したし、彼らの笑顔と、時には涙と、間違いなく僕の中で生き続けていくと思います。これはクラブに対しての思いと一緒で、彼らサポーターにどれだけ歓喜を届けられたかっていうと、やっぱり足りなかったという風に僕は思っているので。特に去年の天皇杯の決勝で、あそこで勝って、タイトルを獲ってみんなが喜ぶ姿を見たかったし、そういうような気持ちにさせてあげたかった。それができなかったという僕の中での悔しさと、サポーターがあれだけ届けてくれた声援に対する恩返しというものは足りなかった。本当に悔しさの方が多いのかなと思います。それでも本当にずーっと背中を押してくれた彼らには感謝しかないです」

―監督の印象に残っている試合、シーンがあれば教えて下さい。

「うーん。いっぱいあるね(笑)現役時代を振り返れば、西京極でJ1昇格をしたあのシーンというのは、もう18年位前なんだけど昨日のことのように思い出すことはできます。監督になってからの光景で考えると、やはり去年の天皇杯の決勝でのあの悔しさとか。後は、意外とその前の年、2017年のアウェイの甲府で、試合が終わった後に0-1で負けたにもかかわらずものすごい声援を彼らが僕たちにくれたんですよね。たしかあのゲームは、甲府さんも残留がかかっていて、死に物狂いの戦いだったんですけど、我々はもしかしたらあのゲームで何か懸けるものが足りなかったかもしれない。ゲームの内容もつたないものだったかもしれない。それでも何かすごい声援を試合が終わった後にくれたのは、おそらくあの一年、もしくは数年前からやってきた僕たちのサッカーに対して、サポーターがなにか期待を抱いてくれたからこそだったと思うので。あの試合、敗戦の後にも関わらず、ものすごい声援を送ってくれたのは印象に残っています」

―監督になられて6シーズン、監督ご自身が貫いてきたことはどういうことだったのでしょうか?

「選手を誰よりも見ていること。これはよくいろんな人にも言われるんですけど、試合は勝ち負けが生まれるから終わった後に『なんであいつを使わなかったんだ』とか『なんであいつを出したの?』とかいろんなことをいろんな人が考えると思うんですよね。もちろん、そういう質問をされることもありました。それでも僕は自信を持って11人を選んだし、18人を選んだ。それについてはすべて説明がつく。それはなぜかというと、俺はあいつらを誰よりも見ているから。その自信はある。だから、仮に選んだ選手がピッチの上でいくら失敗しようとも、もちろん交代せざるを得ない時もありますけど、彼らの失敗に対しては俺が責任を取るという覚悟を常に持っていました。コーチ陣も僕の右目左目になっていろんなものを伝えてくれました。もちろん彼らの力もありましたけど、おそらく世界中の誰よりも僕がベガルタの選手をつぶさに見ていた。それだけはこの6年間貫き通せたかなと思います」

―指導者になってからそういう風になったのでしょうか。

「現役の時は自分のことだけだよね(笑)でももしかしたら現役の時に視野を広げて、何かもっともっといろんなことを見ることができれば、僕自身変われたかもしれないですし、その当時僕も若かったので、やれたことは限られていたと思います。コーチ時代もそうですけど、監督になってから思ったのは、コーチと違って『監督は決断(する)ということ』。決断するということについては誰よりもしっかり見る、そのことが重要なのかなと思います」

―監督にとって今回の決断は「志半ば」なのか、「全てやりきった上でこの結論を受け入れるしかない」ということなのか、どちらでしょうか。

「これはたぶん、5年後10年後同じ質問をされても僕はこう言うと思います。常に志半ば。成功はないのかな、と。仮に何かタイトルを獲ったとか、結果を残したという風になったとしても、それで自分の目標が達成されたと思ってしまえば、それより先に進む資格はないと思いますし、成長はないと思うので。これは今回のクラブの決断がどうだったかということは全く抜きにして、僕は、いち指導者として、いちサッカー人として、あるいは一人の男として成長し続けていきたいので、満足するということはこの先一度もないと思います。先ほど申し上げたように、常に何かこういうことが起こったとしても、志半ばなのか、7合目なのかわからないけれども、『目標は何ら達成されていない』と答えると思います」

―渡邉監督にとって「ベガルタ仙台」というクラブはどのような存在なのでしょうか。

「19年同じ街に住むということは、僕は今まで一度もなかったので。もしかしたらこの先もないかもしれないですけど。だからクラブだけじゃなくって、ある意味、この仙台の街だとか、宮城県、東北という地域とか、そういうものがすべて僕の中に生き続けると思います。そう考えると僕の、渡邉晋という人間を作り上げる中での、大きな要素、存在になってしまったのかな(笑)と。それはけしてネガティブな意味ではなくて、今ある46歳の渡邉晋を作り上げてくれたのはベガルタ仙台というクラブ。仙台という街。宮城、東北という地域。そういう風に言えると思います。この先、どこでどういう仕事をするかわかりませんが、これだけ染みついたものを明日明後日すぐに脱ぎ捨ててくれと言われても、たぶんなかなか難しい作業になると思うので。でもこれは間違いなく僕の財産だと思っています。それを僕はしっかりと背負って、血として肉として、これからのサッカー人生を歩んでいければと思います」

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