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大型工業機械で創る〝鉄塊〟彫刻とは?

母里聖徳公式略歴
 アーティスト読み物『火と祈りとファンタジー』
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文明社会において〝ありえない〟

彫刻家ボリキヨノリが制作に工業機械を使うのはなぜか?――を、端的に二点で言う。〝端的〟とは、思い切りはしょってわかりやすく――という意味合いであるから、思想や作品の深みには触れない。(そちらが気になる人は上の読み物リンクを覗いてみてほしい。〝わかる範囲〟で書いてある、面白おかしくマジメに)

たった二点のまず一点は、工業機械というのは――ここで言うのは一般人には縁のない製鉄所の鍛造機のことであるが――稼働費用が半端ではない。それを〝非工業目的〟に使用すること自体が、まずもってこの世のどこにも〝ありえない〟のだ。ああ、ありえないアリエナイ。その時点でもう人類文明の一般常識から逸脱している。

であるがゆえに、かつ、であるならば、ボリキヨノリ的制作工程から生み出される物体には、〝人の都合〟にはよらない〝ナニヤラ〟が現出しうるのだ。

‥‥わかるだろうか? 生まれ出ずるのは車でもなければ砲弾でもない。なんなのか? なんだと思う? ごく簡単に言うなら――、

〝大自然〟の力がみずからを形作った物体

なのである。(繰り返すが、筆者MAZKIYOの理解力の及ぶ範囲においての言説であることをご承知ください)

〝祈り〟をもってして〝精〟を呼び出す

などと書くと錬金術かなにかのようで危ういが、他に言いようがない。〝人の都合にはよらない〟のなら、ナニの都合か? 〝鉄の精〟なのだ、ボリキヨノリ的観念世界においては。

であるがゆえに、かつ、であるからして、二点のうちのもう一点は、〝できあがるものはすべてが作品たりうる〟ということである。これは少々難解かもしれない‥‥一般に思われているような〝創作=ワタシの表出〟ではないのだから‥‥。

ボリキヨノリはあくまでも、〝鉄の精〟が自由に現出しうるよう計画を練るのみ。そして巨大機械が勇猛果敢に稼働している最中、〝出てくる〟瞬間を見逃さないよう見守るのみ――祈りながらイノリナガラ‥‥。

(そこには〝偶然〟という、すべての創作における、深く考えてみるべき要素があるのだが、長くなるのでリンクの読み物をぜひ見てほしい→『火と祈りとファンタジー』←しつこいようだけど深オモシロいから)

危険この上ない

さぁ、下がそのことがわかる〝かも〟しれない一連の証拠写真である。当時新進気鋭だった35才若手アーティストの行ないであるが、費用は千万単位であった。(この後に鉄彫刻家はモラトリアム期を迎える。その辺りの興味深いエピソードは末尾リンクをご覧ください)古い写真のコピーで恐縮だが、火山の噴火にも似た荒々しくも雄大な〝大自然〟の躍動が見て取れようかと思う。

① 夜通し焼かれて赤く怒った鉄のインゴット。1700 x 1500 x 550 mm、重さ10.5 トン。 ひとつが。
➁ 彫刻家の計画通り縦に積まれた危うすぎる状態。作業に当たるのは資格免許所有者のみ。遠くには不安げに見守る作業員ら。彼らには〝常軌を逸した〟試みである。
そのころの雑誌に掲載された鉄彫刻家BORI。抽象主義を追求していた。この後に創作を止め、30年間のモラトリアム期に入る。2021年に活動再開。開眼?
③ 鍛造機が稼働開始したところ。上からプレスする力は公証8000トン、実際には1万2000トン。当時の世界最大。昨今話題のテスラのギガキャストが同じくらい。
④ 危険この上ないオペレーション。破裂しようものならどれほどの大惨事になるか‥‥ブルブル。
⑤ 〝大自然の力〟を見て取れたあなたは、芸術鑑賞眼の持ち主。英語ではSensitivity for artと言う。もっと単純にはYou have an eye.と言う。「目があるね!」と。突然英語の話? いや、作品性の話だ。最後にわかる。
⑥ 専門作業員たちが各部を丁寧に溶接する。運搬用のリングが付けられている。後で焼き切って外す。
⑦ 1992年作。〝大自然の大いなる力〟と〝反文明〟を感じ取るべき、ボリキヨノリの〝抽象時代〟の代表作のひとつ。2021年以降は〝顔の時代〟作品を制作している。僕はそちらの方に惹かれる。ゆえに彼の抽象期のことを〝カオナシ時代〟と呼んでいる(勝手な命名)。

鉄塊から逃げない

ボリキヨノリ的作法さほうを二点で解説しようと試みながら、やはりもうひとつ付け加えずばおかない。上記工程からおわかりのように、〝鉄の塊ソリッドアイアン〟は、一般人が想像する以上に、制作自体が大事おおごとであり、高価であり、かつ危険すぎるのである。だからやる者はほとんどいない。だからブロンズや板モノを使うのがアートの常識なのだ。

「鉄塊から逃げたくない」とボリキヨノリは言った。かような信念こそ、ポピュリズムの横行する、テクノロジーとコマーシャリズムだけが注視される今の時代において、信頼するに足る、本来かくあるべき〝芸術家〟精神の発露であろうと、事ほど然り、我は感じ入るのである。ちなみにこのことを英語では明確に分けている。〝芸術〟とは〝アート〟ではない。〝Art〟の上に存在する〝Fine Art〟なのである、よ。

〝顔の時代〟(2021~)

〝開眼〟かもしれないのだ。鉄彫刻家BORIはいま、抽象主義をくぐり抜けた境地=〝顔の時代〟にあって、ニューヨーク個展に向けて制作を進めている。末尾リンクから『鐵偶てつぐう』をはじめとするその独特な具象作品群をぜひご覧いただきたい。まずは動画で〝怨魔降伏おんまごうぶくのお火焚き〟のごとき迫力ある〝顔〟イメージをどうぞ。厄払いにもなります。

おまけの写真

おまけ。山のアトリエを訪問したときに見せてもらった最新の実験作をご紹介。これはあり・・だろう? 僕はいたく気に入った。化石だ、化石。テーマである〝縄文時代〟を越え、人類以前の〝先史時代〟に遡ろうとしているのかもしれない。ほしがる人はたくさんいるにちがいない。ウチの兄貴さんとか。(笑 有名なトイデザイナー)

2024年四月、実験作について熱く語る鉄彫刻家ボリキヨノリ。これも〝顔〟の作品だと、僕は見る。

母里聖徳プロフィール
 もっと〝顔〟の作品をご覧になりたい美意識の高い人はこちらへ

PS ボリキヨノリの山のカフェには展示小屋があり、いろんなナニヤラが蠢いている。気になる人はぜひ訪れてみるが善き。コーヒーも美味。(金土日営業‥‥宣伝? いや、無駄足にならぬよう)

桜の季節に訪問した際、やんごとなき風情の先客美女がいたこともあり、予期せぬほどにココロ洗われた(笑)

連絡先:
sleepy cafe NICO
福岡県嘉麻かまへい 1658-2
Tel: 0948-52-6303
E-Mail: sleept.cafe.nico@gmail.com

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