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つばさをください

売り言葉に買い言葉。

なんて言葉があるように言葉には、売り買いだけにとどまらず、攻守だったり、与えたり受け取ったりなど色んなカラーがある。

私は現在、認知症の母親と知的障がいの息子(24歳)とともに暮らしている。この3人で在宅している時によく出くわす場面がある。息子に向き合っている時(介助など)に母親が状況を計らずに話かけてくる。それも何度も同じ話をしてくるのである。

目の前にある息子の介助を優先したい私は、3回目以降は同じ話をする母親をスルーする。話を聞かないと機嫌を悪くする母親を尻目に介助を続けるのだが、私の心理面が苛立ちを伴うと息子にはすぐバレてしまい、10分で終わる介助が2~3時間となることが稀にある。

この状況はここ数年何度となく繰り返してきて、母親に説明するも理解はしてくれない。出来ないのか。したくないのか分らんけど。彼女も話を聞いてほしいのだと思う。言葉を受け取ってほしいのだろう。

状況説明だけにこれほどの行数を使ってしまった。💧

前述したように、「こじらせた」時には、自分の中の苛立ちの言葉を”武器”として母親に放つ。理解されないことを分かっているのに。相手を傷つけようとする武器として。

しかし、逆ギレされ傷つき、届かない感情に傷つき、私と母親、お互いの心理が乱れまくる。

そんな時は、言葉を使わない息子が凄い勢いで叱咤してくる。

心が読まれているのか……。

彼との関係性が最近は良いな~なんて感じていると、ハッと思う行動で思い知らされる。親子だから関係性が良いと感じているときは、彼をコントロールしようとしている。言葉を使って。

アレしたらだめだ、こうしたらいいのに、今コレしよう。などである。従ってくれていると関係性が良いと勝手に思っている。

言葉を使わない彼は、言葉を攻撃の道具として持っていない。生まれながらの平和主義なのだ。言葉に頼り切る私たちに伝わらない苛立ちを感じながら、彼は平和で自然な自分の中を生きている。

言葉を受け取らせようとするのではなく、受け取る。そんな言葉の使い手になりたいなぁと感じているこの頃である。なかなか難しいね。

タイトルを「つばさをください」にしたのは、息子がここのところずっとYouTube でループ再生していたからである。

分かって再生しているのかもしれないと思うのは、親の勝手である。(;^_^A

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