脚本というより同人誌

何度も何度も言ってるけど、アマチュアセラミュ以外の脚本はまともに書けません。脚本家じゃないです私。
今回もどうやって脚本書いたらいいですか?みたいなこと聞かれたりしたけど知らないんです。脚本っていうより私の中では同人誌を書いてるつもり、オタク活動。
絵も書けないし同人グッズも作れないし、けどセラムンへの愛ばっかりあるからそれを吐き出しただけです。マジで大したことでは無い。

そんな同人誌のあとがき的なことをここに書きたいと思います。
これを今更吐き出すのはキャストや演出の皆さんのノイズになりたくなかったから。私一人の脳みそが生み出した答えより私より何倍も何十倍も何百倍もその役と向き合ったりその作品と向き合う時間が長い皆さんの方がきっと素敵なものを持ってきてくれるってことを知っていたので。

私が1人勝手にかぐや島の妄想を繰り広げていたときの古い脳内を引っ張り出してみます。

まず大前提として
私セラミュの中でも実はそんなにかぐや島を見た事なかったんです。楽曲も素敵だし、ストーリーも素敵だけどなんだかセラミュ見よってなったら他の作品ばかり見てた。
だから設定とかあやふやで、脚本書かせて!お願い!ってりよちゃんにお願いした時に改めてちゃんと見直しました。新旧どちらも、そしてここからが一番頭を悩ませた。

新旧で設定違くない??
大まかなストーリーは同じなんだけど、細かい所が違う。
旧だとかぐや島に誘い出すのはプラズマン一族だし、新だと海賊一味だし。どゆことや、と。
混乱する頭を整理するために新旧をワンシーンワンシーンずつ交互に見てみたり、丸々頭から最後までどっちも見直して、またシーンごとに交互に、などなど。
そしてようやく5000年の歴史の中の出来事が新と旧で違うことを理解して独自解釈する。
代表的なもので言えば、ルーフメロウは旧だとアルトゥカが滅びた後はかぐや島を後にしてずっと海をアンドロイドたちと一緒に一人さ迷ってた。新は大洪水で起きた地殻変動の影響でずっとかぐや島の地中深くの中で氷漬けになって5000年眠り続けてた(注・めたん解釈)

主催のりよちゃんに「新旧どっちの設定がいいか」を聞いたところお任せしますの言葉を頂いたので再度悩む。
海賊一味に限らず、母親や子どもたち。プラズマンもどっちがいいかな、と考えた時に「どっちの方が辛いかな」で判断した。
私の好みで舞台上でキャラクターたちが苦しんだり悲しむのが好きって言うのもあったけど、なにより5000年の苦しみが重けば重いほどセーラー戦士たちがそれを救う意味があると思ったから。

かぐや島って気を抜くとセーラームーンの話では無くなってしまう恐ろしさもあって。それぐらい敵役たちが魅力的でストーリー上で沢山のことが敵側に起きてしまっているから。
けど私は「セーラームーン」ミュージカルが好きなのであってセーラー戦士たちの話が見たかった。かぐや島をやる以上そのストーリーを捨てることをせずに戦士たちが戦う話にするには、ってなった時にやっぱり「孤独」を乗り越える姿だと思ったのでより辛い思いをルーフメロウたちやプラズマンたち、そして子どもたちにも背負わせた。
誰にも頼れない、自分たちだけで寄り添う場所がない状態にしたかった。

そんな5000年の思いが巡るかぐや島にやってきた“異物”がセーラー戦士たち。
異物だからこそ5000年の怨恨にも無縁で自分達の思いや経験で戦うことができる。それぞれ孤立していた人たちを繋ぐ存在にセーラー戦士がいるんだってかぐや島を何度も見返して思ったのでそれを表現したかった(力不足)
セーラー戦士って綺麗事を言う資格がある人たちなんです、めたん解釈だけど。それぞれに孤独に対しての記憶や経験があって、けれどその孤独が永遠ではないとセーラームーン・うさぎちゃんのおかげ知れた人たち。だからきっと全員プラズマンもメノラーも突き放すことはしない、対話をする。突き放したいなら攻撃するところを言葉をぶつける。プラズマンやメノラーに向けた言葉が流れ弾となってアルトゥカの一味にも届けと思ってました。

個人的テーマは孤独
だから“ひとり”とかの言葉にはめちゃくちゃこだわってしまってキャストさんを困惑させたと思います、反省。
旧かぐや島ベースにしたのはミックフックの関係もあって。新になっちゃうとルーフメロウ様たちの飼い猫になってるんですよね。それもいいんだけど、孤独をテーマにするにはやっぱり子供達だけで待っててほしかった。純粋な子どもたちが孤独の意味も知らずに、プラズマンの孤独との対比を描きたかった。
そしてもう一つが命。
命のないものと命を長らえさせるもの、沢山の命があの場にはあって。寿命の概念、血液の流れがあるから知れるもの、想像でしか感じることのない命。実は戦士以外は自分達以外の命に関して5000年の間にちゃんと感じたことがなかったんです(めたん解釈)
あの物語の中で命というものに触れたのかなって。だからこそ命を張れたし命を捨てる選択もできた。そしてセーラームーンは命を生かした。
これはかぐや島を見て感じためたんの解釈なので同人誌で表現したかっただけ。

そして戦士たちに言えるのは「成長」
これは嫌な言い方になっちゃうかも知れないけど新たなアマチュアセラミュだからこそ、そしてかぐや島だからこそ書けるものだと思った。
今作の戦士たちってどの作品よりも輪をかけておバカと思って書いてます。危機管理能力が低い、それは経験が少ないから。けどよく考えたらそうなんですよね、だって普通の女の子たちだもん。彼女たちのベースを戦士ではなく年相応の女の子に寄せて書きました。だから無料のクルージングツアーにも食いついちゃうし、無人島でおかしなことがあっても楽しめちゃう。私の中学・高校生の頃ってそうだったなぁって。
戦士になっていくお話だと思って書きました。自分達の命が消えそうになる、タイムリミットが明確な中で何をすべきか。その時に戦士になれるんだと思ってました。だから実は誰か一人でもその覚悟がなければ変身できないっていう妄想をしていたりして。

ちょっと疲れてきたのでこの辺で。
語ることは正直尽きないけど、あんま出しても気持ち悪いし。
余白がある方が妄想って捗るよねっていうオタク人間だからこのことも公表するか迷ったけど、たまらず吐き出しちゃいました。
ちゃんと消化して次に進むために、思いの丈は綴り終えたぞ!

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?