大好きだった祖父の話
「ドラマや映画で泣いたことある?」
先日会社の同僚からそんな質問をされた。
泣いたことか……。
自分は基本的に、テレビや映画で泣いたことはない。まあ強いて挙げれば、オグリキャップのドキュメンタリーと、日向坂46の映画で泣いた程度だ(日向坂46の映画に関しては、年齢を重ねて涙脆くなっていたので許して下さい)。
なので、もう少し若い頃にはなるが、この質問を見たり聴いたりするたびに、毎回思い出すことがある。今回はその話を書いてみようと思いたち、ペンを執ることにした(実際はノートパソコンだけど)。
自分の祖父は亡くなる数年前から、痴呆のような症状が見られていた。そのため、自宅では生活するのが難しくなり、老人ホームへと移り住むことになった。
またその頃には祖母の体調も優れなくなってきており、母親が定期的に祖父のいる老人ホームに足を運んでいたのが思い出される。
祖父が老人ホームに移ってすぐは、母親は俺によくこう言ってきた。
「あんたも一緒にじいじんとこに行かない?」
じいじとは祖父のことである。母親は俺が行くことで祖父が喜ぶと思ったのだろう。しかし、それに対しての俺の答えはいつも決まってこうだった。
「んー今日はやめとくー」
それを聞いた母親はいつも残念そうな表情を浮かべていた。
別に祖父が嫌いだったわけではない。いやむしろ、好きだった。好きだったからこそ行きたくなかった。
なぜかと言うと、痴呆が進んでいた祖父に「お前は誰だ?」と言われるのが怖かったからだ。
実際、老人ホームにお見舞いに行った従姉妹は言われていたらしい……。
ただ、今思えば「お前は誰だ?」って言われたとしても会いに行っておけばよかったと後悔している。
そしてそんな日々から数年経ったある日のこと、祖母の家に遊びに行くと、ベッドに祖父が眠っていたことがあった。
祖父はベッドから起き上がって俺に話しかける。
「おう! ゆう!(俺の呼び名) 元気か?」
祖母の家に祖父が居たことにまず驚いたが、俺は反射的に答えていた。
「うん、元気だよ」
その答えを聞くとすぐに祖父はこう続けた。
「実は神様にお願いして、一瞬だけ生き返らしてもらったんだ」
突拍子もない答えだった。でも、じいじが生き返った?
その瞬間、俺は今までの感謝の想いを祖父に伝えた。
将棋をしてくれたこと、キャッチボールをしてくれたこと、日曜日に遊びに行くと必ずラーメンを作ってくれたこと……。そして、感謝の気持と同時に、老人ホームにお見舞いに行けなかったこともひたすら謝った。
それを聞いて祖父は微笑んでいた。そして口を開く。
「そうかそうか、ゆうにまた会えて良かったよ。じゃあもう時間だから」
そう言うと祖父は、目を瞑ってまたベッドの上で眠りについた。
一瞬何が起こったのか分からなかった。俺はその現実を受け止めきれず、思わず声が出た。
「じいじ!! ねえじいじってば!! やだよ、ねえ起きてよ!! もっと話したいよ!!! じいじ!! じいじってば!!」
――目が覚めたのはその直後だった。
今のは全部夢だったとすぐに気が付いた。
目を開けた時、俺は自分の涙が頬を伝ったのが分かった。俺は右手で軽く涙を拭った。
その夢を見たのは祖父が亡くなってから数ヶ月後のお盆の時期だった。
お盆=お墓参りというイメージが脳内にあったからだろう。きっとこんな夢を見たのかもしれない。
――じいじが最後俺に会いに来てくれた。
まあこれは完全に俺の自己満足だというのは分かっている。でもその日を堺に、心の中の靄が晴れたのは確かだった。その日以降、祖父が夢に出てくることもなくなった。
その年から、お盆になると祖父の墓参りに行くようになった。また、祖父の横には祖母も一緒に眠っている。
というのも、祖父の亡くなる1年前、祖母は病気で亡くなっていた。老人ホームにいた祖父には、そのことは伝えられていなかったらしい。
生前祖父に、「じいじはばあばが居ればそれでいいんでしょ?」と、意地悪な質問をぶつけたことがある。
祖父は大のお酒好きだったので既に酔っ払っていたが、何も言わずコクっと軽く頷いたのを今でも覚えている。よく喧嘩をしていたので、その答えは意外だった。
じいじ、ばあばとずっと一緒に居られてよかったね。そしてこれからもずっと一緒だね。俺は墓の前で拝みながら、そんなことを心の中で呟いていた。
母が言う。
「笑ってるけど、拝みながら何考えてたの?」
「……ん? 可愛い彼女ができますようにって」
「神社じゃないんだから!」
それはせめてもの照れ隠しだった。
今年も夏が終わろうとしている。俺は腰を上げて、母が取ろうとした手桶を先に持ち上げた。
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