「降伏」が「幸福」につながるかどうか

『がんばるな、ニッポン。』CM話題、担当者が明かす意識の変化「半沢、転職すればいいのに」マインド
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そもそもある程度話題になっている時点でCMとしては成功している。製作者にすれば「してやったり」というところだろう。

「がんばる。あきらめない。逃げない」のが尊い場合もあれば「がんばるな。あきらめろ。逃げろ」が正解の場合もある。主語や用いる状況によってケースバイケースという意味ではメッセージとしてはわざと不十分にしている。

目的や目標、たとえば人生の目標である「幸せになること」にたいしては頑張るべきだし、あきらめず逃げ出すべきではない。

一方でそのための「手段」は前提や状況が変化した場合は最適解に変化させるのが正解だ。自分が幸せになるための努力は最後まで放棄すべきではない。

そして「降伏」「逃げ」は手段だ。だから目標達成のための手段として政界になることもあれば間違いであることもあるわけだ。

現在進行形のロシアのウクライナ侵攻で日本の著名人の一部に「降伏してはどうか」という声が聞かれるが、まったくもって愚かな話だ。

「降伏(逃げ)が幸福につながるかどうか」

基本原則としては「ウクライナの方々がどうするかはウクライナの方々が決める」である。その上で私の考えを述べるなら「そもそも国際法という約束破りを承知の上で侵攻しているロシアに対してウクライナが降伏したとして、一体何を約束し守ってもらおうというのか?」である。

ロシアがその約束を守る可能性は極めて低い。つい弱気になって、そのわずかな可能性に縋ったとして、さらにロシアが約束を破って攻めてきた時にどうするのか? 

いったん和平しておいて外堀だけでなく内堀を埋めてしまう「大坂冬の陣アタック(坂はこれで正解)」が容易に予想される。個々人の幸福と国の存続という利害が対立しているわけではないのだ。ウクライナとしては実質最後まで戦う以外の選択肢はほぼないのではないか。


ヤン・ウェンリー
@_Yang_Wen_li
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人類の社会には思想の潮流が二つあるんだ。人の命以上の価値があるという説と命に優るものはないという説とだ。人は戦いを始める時前者を口実にし、やめる時に後者を理由にする。それを何百年、何千年と続けてきた

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。