ももんが

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最近の記事

今日は5/1

こんにちは、ももんがです。 今日のネットニュースにいくつかありましたが、5/1の今日は30年前にカーレースの決勝でアイルトンセナ選手が事故死した日になります。 もちろん94年のサンマリノGPのレースウィークは「暗黒の週末」と呼ばれるまでの大きな事故やドライバー2名が亡くなるという悲劇的な週末でしたが、そもそもこの94年のF1は開幕前からドライバーが回避できないクラッシュが発生していました。またサンマリノGPのあとのモナコGPでも大きなクラッシュがあり、有望なドライバーが一

    • その時の判断は正しいのか

      こんばんは、ももんがです。 わたしは教員に正規採用された2年目に「うつ」を発症させました。今考えると、その当時の「うつ」に対しての認識ではとても恵まれた環境・待遇をしていただいたと思います。現在までの自分の待遇を考えると、その時に所属していた校長がとても理解があったと思います。 そして2校目では、「うつ」も落ち着いていました。わたしの能力をきちんと評価してくれる先輩教員がいて、管理職にもそれを伝えてくれ、わたしがきちんと評価されていると感じる環境を作っていてくれました。そ

      • 極論 ~これが正しいとは思ってないけど~

        こんにちは、ももんがです。 さて教員の不祥事が年度末で多く発表がありました。そこでわたしが思ったことを記載しておきます。ただし、この意見は極論だと思います。気分を害されることが書かれているかもしれませんが、そういう方はそれ以上読み進めないでください。 正直、学校現場では不祥事で発表される事柄に近いものは頻繁に行われているような気がします。そしてその事柄の原因は正直98%は教員側の問題だと思います。 それではなぜ98%は教員の問題だと、わたしが考える理由は以下の通りです。

        • 軽んじられていると感じる「職責」

          こんにちは、ももんがです。 某県の公立高等学校教諭を辞して、もうすぐ1年になります。それでもなお、教育界の動向が気になっています。 「教員の仕事」に関して、あまりにも「文部科学省」と「各教育委委員会」の考え方と「現場の教諭」の考え方に差があるのだと思います。 いつからか、「現場の教諭」が行っている「仕事」が教諭の仕事でなく、「自主活動」になってしまったことから、議論や認識がおかしくなってしまっているのだと思います。 これは「学校」というものがなぜ存在があるのかを、あまり

          情報系のコストの考えかた

          こんにち、ももんがです。 本日、情報系の記事を見ていたところ、日経XTECHさまの記事を見て、「うぅん?」と感じたので、少しだけわたしの認識をここに書いてみる。できれば無料記事分だけでもXTECHさまの記事を読んでから、私の考えも見てみてほしい。 ここで問題になっているのはOSSを利用した際の運用コストなのだと思う。その上でいえば、OSSは基本的には無料でりようすることができ、プロジェクトによっては活発に開発がされている。このOSSの多くは開発者等に対して報酬が直接的に発生

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          教育費について

          こんばんは、ももんがです。 さて、今日webニュースの巡回中に知りましたが、学生団体が学費の無償化を訴えているようですが、そもそも教育というものは「有償」であり、教育を行う上では当然「運営コスト」がかかっています。そして日本という国は小学校と中学校を「義務教育」としています。ですので僕の感覚でいえば、義務教育はかかるコストのほとんどを公費負担するのは問題がないと考えますし、もっとコストをかけるべきだとも思っています。 しかしながら、高等学校以上の学校に関しては、本来個人が行き

          教育費について

          人の気持ちは割り切れないし、他人にはわからない。

          こんにちは、ももんがです。 教育分野に20数年携わってよくよく感じたものは、「教員としての」僕の気持ちを「生徒」である年下の人たちは全ては理解できないし、その逆もしかりであるということ。生徒のために発した言葉であっても、悪意ある言葉と受け取られることもあるし、軽い気持ちで発した言葉が生徒の気持ちを大きく揺らすものであったりします。 だからこそ、「教員」は児童生徒に対して「誠実に」対応するべきだと思います。例えば「提出物の期限を守らないこと」についてどのように対応するのが、児

          人の気持ちは割り切れないし、他人にはわからない。

          採用ついて

          こんばんは、ももんがです。 ぼくは20数年前に某県の公立高等学校の新規採用職員として採用しました。その際に提出した書類は、通勤経路、自分の個票、共済組合登録、自家用車登録と「同意書」くらいでした。「同意書」には「某県の教育公務員として、しっかり働きます(要約)」です。 しかしながら、勤務条件や給与についてなどについての説明文書もありませんでしたし、ぼくは講師経験者でしたが、「基本給」がどのように決まったのかも説明はありませんでした。 もちろん、配属された学校での服務規定や

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          僕が入院して思ったこと、感じたこと

          こんばんは、ももんがです。 僕は、23年10月下旬より緊急入院をしていました。その時の外来のドクターがどうしても今すぐ入院しないと生命に関わる可能性があるとのことで譲らなかったため、その日に入院をしました。 そのときに感じたこと、僕の母が少し前に入院したときに感じたことを通じての今の病院の置かれている立場を推察します。 おそらくですが、病院は患者やその家族から訴えられるのをすごく警戒していると感じました。それは30年以上前であれば看護師さんに聞いて教えてもらえたことが何も

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          性善説と性悪説について

          こんばんは、ももんがです。 よく事件が起きたときに話題に上がるのが@「性善説」と「性悪説」についてです。最近はあまり表に出てきていませんが、教育面では大きな事件が起きるたびに論争の1つとして出てきます。 僕が考えるのに、性善説も性悪説もないと思います。僕は「性無善無悪説」です。つまり悪に染まるのか善に染まるのかは、育成状況に左右され、あくまでもその個人の評価で行動が決まるのだと思います。 だからこそ、児童保護施設というものがありその子どもに有益でない環境から行政が子ども

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          輪廻転生、生まれ変わりはあるのか。

          こんばんは、ももんがです。 さて生命の神秘というものがあります。また科学の発展のなかで説明できない事象があることもあります。 わたしは「化学」を「工業分野」を専攻した人間としていわゆる「非科学的な事象」についてどう判断したらいいかという疑問を持ったことがあります。 科学者であれば、本来「再現性」や「観測できること」とというのが根拠となり、それに当てはまらなければ「その事象を認めない」という対応も理解することができます。しかしながら「科学的な証明」ができなければその事象の

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          教員や学校の状況変化が本当に起こるのか。

          こんばんは、ももんがです。 本日教育新聞のWeb記事で、教員の持ち時間の上限を定めるべきだという内容の署名が提出された記事を見ました。 正直、自分も教員の持ち時間についてはきちんと文部科学省が決まりを作るべきだと思っていました。そしてその持ち時間超えた教員がいる学校が存在する場合、教育委員会に対して厳しい処分を文部科学省あるいは日本国政府が行う必要があると思うのです。 では現状どうなっているかということですが、僕が知る限りの内容になりますが、高等学校の教員だと県ごとでど

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          行動に対しての責任

          こんばんは、ももんがです。 酔っ払った勢いで連投です。wwww さて某県某市立小学校で、宿題を忘れた児童に対して土下座をさせ、それが問題指導だということでニュースになっていたことをご存じですか? 僕が考えるのに、「学校」という環境ならば「失敗」も「成功」も「全て経験」なはずだと思っています。つまり「失敗」も「成功」は同じ「経験としての価値」なのです。 つまり「土下座をした児童」が感じた価値と「宿題を提出した児童」の感じた価値が同じでないとおかしいと思うのです。 そもそ

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          聖人君子はこの世にはいない

          こんばんは、ももんがです。 酔った勢いでもうひと記事。 少なくても日本国民は、日本に聖人君子はいないことを思い知っているはずで、聖人君子が育まれる環境に現在はないということも知っていると思います。 それでも政治家や公務員には、そうあってもらいたいと思う日本国民が多いのだと思います。 だからこそ政治家はしてはいけないことをしたら、二度と政治家になれない・しないということが求められるのではないでしょうか。 世界的に見て、「日本の警察は優秀である」と思われてるのにも関わらず

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          学校という場所で児童生徒学生に対して与えらるものを今こそはっきりさせるべき

          こんばんは、ももんがです。今日はお酒が入った状況で、鬱憤を晴らそうと考えていますので、そういう意見を聞きたくない方は、読まないでください。お願いします。 おそらくですが、教員になっている人たちにはそれぞれ児童生徒学生たちに「こうなってほしい」という思いがあるのだと思います。教員を選んだ時点でそういう思いがあったり、教員に採用された後にそういう思いができたりするのでしょう。 しかしながら、それは教員自身の体験や実績、教員としてのあり方を学ぶ上で構築されていくのでしょう。 例

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          教育現場で利用するソフトウェアについて

          こんばんは、ももんがです。 さて、GIGAスクールで一人ひとりに情報端末を利用するようになっています。わたし自身は大学入学の際にノートパソコンを購入しています。その際にはスペックが大学から示され、ソフトウェアも授業で利用するものは購入をしました。 ただ、その当時にインストールされていたIEよりも良いとされていたNN(ネットスケープナビゲーター)を授業の最初にインストールしたのを覚えています。 その後、パソコンを使っていく中で、壁紙を変更したりカーソルを変更したり、タイト

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