その時の判断は正しいのか

こんばんは、ももんがです。

わたしは教員に正規採用された2年目に「うつ」を発症させました。今考えると、その当時の「うつ」に対しての認識ではとても恵まれた環境・待遇をしていただいたと思います。現在までの自分の待遇を考えると、その時に所属していた校長がとても理解があったと思います。

そして2校目では、「うつ」も落ち着いていました。わたしの能力をきちんと評価してくれる先輩教員がいて、管理職にもそれを伝えてくれ、わたしがきちんと評価されていると感じる環境を作っていてくれました。その後3校目では、評価はされていましが明らかに仕事量が多くなっていました。その後異動を何回かしましたが、最終的に所属した学校はおよそ10年いました。しかし、その学校の設立目標や新設された学校で建前上「合併」した2校の様子を知っていたため、その学校の風潮などが年を追うごとにわたしが考えるものとは、どんどん離れていきました。しかもそれは職員会議などで語られることなく、侵食されていったのでなおさらわたしはその学校での自分の理想が「壊されて」いく感じが負担になりました。

わたしの教員免許は高校一種(工業)ですが、非常勤講師も講師も養護学校で、正規職員になった初任校も「総合学科」の高校でした。そのため工業高校に配属されても自分の学科でない生徒とも話もするし、生徒が望めば相談にも乗るのが当たり前でした。もちろん教員も他学科でもわたしの知識が役に立つのであれば、こだわりませんでした。

ですので、学科・教科はわたしにはこだわりはありませんし、就職進学ともに「生徒が望む進路」であればそれを応援するのが当たり前だというスタンスですが、そうでない最後の学校はわたしの「うつ」の症状を悪化させる場所でしかありませんでした。

そもそも、わたしが採用された県は「建前」が大好きのようでした。成績についても早い時期から「絶対評価」となりましたが、集団の評価の平均値が決められていました。つまり本来の絶対評価では、生徒が頑張れば全員10段階で10という評価でもOKのはずですが、学校独自に「5.0から7.0」の範囲内に集団の評価の平均になることと言われました。

この理由は複数の工業の学科があるので、学科間の評価が同じになるようにという子でした。しかし「絶対評価」を選択する以上、この理由は本来認められないものだと思います。

そして「観点別評価」が始まりました。それで生徒がやる気を出し生徒の良さが引き出せるならいいと思いますが、わたしにはそう思えませんでした。

成績の評価について、教員がきちんと説明できないことが一番悪いのですが、その値のみで判断している大学等や企業も悪いのだと思います。

生徒には評価の値でのみで、生徒の評価がされてないということを知ってほしいし、教員はそれを生徒に伝えるべきだと思います。そして授業評価も定期試験や提出物だけで評価するべきではないとわたしは思います。


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