夕方、金星の色

自分でいうのもなんだが、中学時代はそこそこモテた。
勉強はそれなりだったが、背が高くて運動できて、優しくて面白かったからだ。(ダイナミック自画自賛)
卒業式の日には制服のボタンやネームプレートは根こそぎ持っていかれ、同じクラスだった子には告白された。
チョコまみれというお菓子があるが、一説では中学時代のバレンタインの私がモデルになっているという話を聞いた。
 
人生にはモテ期が3回あるという言説があるが、それが真実ならば私の場合、中学1年生、中学2年生、中学3年生の3回だ。もし中学時代のモテを長い1回とすると、あと2回モテ期がくることになる。ヤッタネ(涙)

カリブ夢の旅

中学1年生のときの合唱コンクールのこと。3組で伴奏を担当していたNさんに一目惚れした。思い出補正もあるかもしれないが、とんでもない美少女だった。ピアノを弾いている姿で余計にそう思ったのかもしれない。
 
私の通っていた中学校は2つの小学校(2つの学区)から進学してくる学校だったため、入学時点で半数が知らない人だった。Nさんもそのうちの一人、私と違う小学校から進学してきた人だった。
 
そのNさんと中学2年生で同じクラスになった。6クラスある中で同じクラスになる。めちゃくちゃラッキーだった。

しかし、同じクラスになったはいいものの、いざ好きな人と一緒になると当時の私は見つめ合うと素直にお喋り出来ないTSUNAMI系男子、もとい、ゴメンね素直じゃなくて夢の中なら云えるムーンライト伝説系男子だったため、特に距離を縮めることはできなかった。
神様のアシストで隣の席になったこともあったが、まぁまぁ普通に会話できる、くらいの感じだった。

ハローグッバイ

ある秋の日のこと、特に話したことのない隣のクラスのNさんの友達に話しかけられた。
「Nが話したいことがあるから、屋上にきてほしいって」
 
正直この時点で死ぬほどドキドキした。
 
女子が男子を屋上に呼び出す、これはもう告白か果たし状のどちらかだ。
Nさんとの関係は良好だったし、決闘を申し込まれる覚えはなかったので、これはもう告白しかない、そう思った。
 
ドキドキしながら屋上へ向かうと、Nさんが待っていた。
 
「好きです。付き合ってください。」
 
漫画だ。
 
「僕もずっと好きでした。」
 
漫画だ。
 
私の後ろで屋上の入口から覗いていた女子たちが騒ぎ出す。
 
漫画だ。
 
漫画のワンシーン。あるんだねこんなことが。
 
そこからは毎日が楽しかった。一緒に下校したり、帰ってからメールのやり取りをしたり。その頃はお互い携帯を持っていなかったため、パソコンでメールをしていた。家族共用のパソコンだったので家族に見られる心配があったが、その辺は上手いこと設定して免れた。当時からその辺は得意だった。
 
メールのやり取りの中でわかったこと。NさんはYUKIが大好きだった。
私がYUKIを好きになったのもそこからだ。
ハローグッバイは、Nさんが一番好きだと言っていた曲。

私が見てきたすべてのこと
むだじゃないよって君に言って欲しい

なんて素敵なフレーズなんだろう。
歌詞ツイ回数1位かな、下手したら。

誰かを好きになって、その人から今までのすべてが無駄じゃなかったと肯定されたらどれだけ幸せだろうか。
そして、この言葉を受け入れることが出来る自分でいることがとても大切だなぁと思って生きている。

ちょっとYUKIとaikoはまた別記事で語らせてほしい。(需要ない)

ばらの花

私の通っていた中学校は2つの学区から進学してくる学校だということを書いたが、それは急激な人口の増加で中学校が足りなかったからだ。
 
中学2年生の冬、最悪のタイミングでもうひとつの中学校が完成した。
 
それにより私の学年は、3年生に上がるタイミングで2つの中学校に分かれることになった。あまりにも残酷すぎる。Nさんとのこともそうだが、せっかく仲良くなった友達と修学旅行にも行けず、最後の文化祭も共に過ごすことができない。せめて在学中の生徒は卒業まで今の学校のまま・・・とはならなかったか。さすがに無理だったのだろう。そうすれば新一年生だけが通う中学校が爆誕してしまう。

完全に別の学校なわけなので、卒業式はもちろん、当然卒業文集や卒業アルバムも別、当時の私たちは一緒に過ごした2年間がなかったことにされたような感覚だった。

結局Nさんとはその年お別れした。部活や受験でお互いが忙しくなったことが理由だったが、同じ学校に通えていたら、そこで毎日会えていたらどうだっただろう。

しばらくはそんなどうしようもないことを考えていた。