見出し画像

東京の地下に皇族専用地下鉄が走っていると妄想してみた

息子を神の使者と信じた 

これが今年5月にした妄想の最後だ。ボクは、その時、息子が神様の使者だと思い込んだ。

そして、息子が好きな電車が、ボク達夫婦を大災害から救うと信じていた。

息子が好きな電車は、東京メトロ銀座線と東京メトロ丸の内線だ。

ボクは、そのことから、東京の地下には皇族専用の地下鉄が走っていると妄想した。

銀座線と丸の内線

ボクの息子は、何故か地下鉄が好きで、中でも、東京メトロ銀座線と東京メトロ丸の内線が大好きだ。ご存知の方も多いと思うけど、東京メトロ銀座線は、日本で最初の地下鉄だ

日本で最初の地下鉄は、1927年(昭和2年)の暮れ、上野~浅草間2.2kmをつなぐ路線で産声をあげました。アジアでも初めての地下鉄であり、「東洋唯一の地下鉄道」として話題を集め連日超満員。地下駅から地上にまで行列が延び、電車に乗るまでに1時間以上もかかったといわれています。

続いて、東京メトロ丸の内線は、戦後まもなく開通した。丸の内線は、四ツ谷駅で一度地上に出る。これは、諸説あるが標高差が激しいから地上を走行していると言われている。

1954(昭和29)年1月に開業した丸ノ内線は、東京では銀座線に次いで2番目、日本では4番目に開業した地下鉄です。

この丸ノ内線は池袋~荻窪を結ぶ本線と、 中野坂上~方南町を結ぶ分岐線(開業当時、新宿~荻窪・中野坂上~方南町は荻窪線と呼称)で構成されています。
現在ではこれらの区間を丸ノ内線と呼んでいます。
日本の中央官庁をはじめ、 政治、 商業、 交通の要となる駅を結ぶ丸ノ内線は、 戦後初の地下鉄として、 デザイン性の高い、 真っ赤なボディ(開業時)をもって登場し、 その後の日本の発展を象徴するかのようでした。

だけど、丸の内線が標高差があるからという理由だけで、わざわざ地表を走らせたというのは本当だろうか。電車には昔から旧日本軍に関わる話題が多い。それに、知っている人も多いと思うけど、東京都の地下は広大な空間があると言われている

本日、私のツイッターのTLを「東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か」というネタが流れている。
なんでも、「空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。」

なかでも、東京メトロ千代田線の国会議事堂前の地下は有名だ。割と新しい都営地下鉄大江戸線は地下7階を走るが、国会議事堂前は地下6階だ。ここには、政府専用の秘密通路があると噂されている

―――実は、国会議事堂前の地下で、有楽町線と千代田線の線路がつながっている。
Googleマップで国会議事堂付近をみると、皇居のお濠に沿って有楽町線 桜田門駅が、外務省庁舎と財務省庁舎の間を千代田線の線路が走ってるように表示されるはず。
この2本の路線は、国会議事堂前の地下にある連絡線「霞ヶ関回送線」で結ばれている。
有楽町線が東京8号線、千代田線が東京9号線と呼ばれていたことから、この両線を結ぶ連絡線を「8.9号線車両回送用連絡側線」などと記す資料もある。

秘密の線路

大量のステロイドを投与されたボクは、息子が好きな地下鉄が何かの啓示なんじゃないかと妄想してしまった。そこで、大本営があった防衛省の地下から秘密の地下鉄が皇居に向かっているという考えた。

戦時中に大本営陸軍部の地下に造られ、現在も防衛省敷地内(東京都新宿区市谷本村町)に残る地下壕が10日、報道陣に公開された。同省によると、詳しい建設目的や使用状況は不明だが、ポツダム宣言受諾に際し、当時の阿南惟幾陸相が終戦に反対した若手将校を集め、「天皇陛下のご聖断が下った」と伝えた場所とも言われる。厚さ約4メートルのコンクリートに覆われ、爆撃に耐えられるよう設計されている。(2015年08月10日) 【時事通信社】

当然、皇居の地下にも防空壕がある。昭和天皇が、終戦を決断したのが皇居地下の防空壕だったからだ。そして、皇族を外に脱出させる秘密のルートがあると考えるのが合理的だ。そこで、丸の内線の四ツ谷駅が何故地表に出るか、別の理由があると考えた。答えは簡単だ。四ツ谷駅と市ヶ谷駅の間に秘密の地下鉄が走っているからだ。

2015年08月01日
 昭和天皇が終戦を決断した皇居地下の防空壕(ごう)「御文庫付属室」内部の映像を、宮内庁が50年ぶりに報道陣に公開した。戦時中、重要な国策決定の舞台となったが、激しく劣化が進み、足を踏み入れるのが危険な状態となっていた。
 御文庫付属室(建面積631・5平方メートル)は、太平洋戦争開戦前の1941年9月に完成。昭和天皇が戦時中住んでいた「御文庫」(現・吹上大宮御所)とは45年に地下トンネルで結ばれ、終戦直前には補強工事が行われた。トンネルは戦後間もなく埋められ、付属室は現在まで手を加えないまま残されている。
 同庁は7月15日に内部を撮影。東側の入り口から中へ進むと室内は真っ暗で、気温は16~17度と外より低いが、湿度が80%以上に達し、結露が発生していた。コンクリートのあちこちで剥落・ひび割れが生じ、雨水や土砂が流れ込み、ハクビシンなど動物の痕跡もあった。
 終戦直前の御前会議が開かれた会議室(60平方メートル)の船底の形をした天井は、一面に赤いさびが目立つ。壁の板は倒れかけており、床の板は破損して木材が散乱。会議室に通じる鉄の扉は元の濃い緑色がさびで変色し、動かなくなっていた。(宮内庁提供)【時事通信社】

秘密の地下鉄ルートは、皇居の地下から、銀座線と丸の内線の乗り換えである赤坂見附駅と永田町駅の間を抜け、一つは大本営のあった市谷の防衛省の地下へ。そして、もう一つの終点はいつも工事をしている渋谷駅に向かう。銀座線は表参道駅まで地下なのに、渋谷に到着すると地表に出てくる。これも、車庫があるからという理由だけど、よく考えると奇妙に思える。

青山通りの地下6階が半蔵門線のホームになっている。地下4階には、有楽町線と南北線が交差。地下3階から地下1階はというと、赤坂見附交差点付近で地上に出てしまう。この交差点は地面が低いため、地下3階から1階は、地下としての役目ははたせないのだが、その代わりとなるはずの地下5階は何の用途にも使われている形跡はない。

 「そこはなにか別の用途に使われている可能性があるのではないか?」というのも、永田町駅での南北線と半蔵門線の乗り換え階段の配置がどうも奇妙だといわれているからだ。

銀座線渋谷駅は横浜に向かう東急東横線や自衛隊の駐屯地がある和光市駅に抜ける副都心線、川崎方面に抜ける東急田園都市線、さらにはJR各線が走っている。東京都から避難するにはちょうどいい。では、防衛省の地下には何があるだろう。ボクは核シェルターだと考えた。

 両線の乗り換えにはかなり大回りを強いられる。この融通のきかない構造の答えはひとつ。地下6階の半蔵門線ホームと地下4階の南北線ホームの間に、「何か」があり、そこをダイレクトの突き抜けるエスカレーターを設置することができないからなのだ。

 それは永田町駅の地下5階、つまり半蔵門線の上には、皇居と赤坂御苑を結ぶ地下通路が存在しているからではないのか。 

 そして、この地下通路は皇室専用だけではなく要人向けの通路でもあり、その一部が「シェルター」として整備されている可能性が出てくるのである。

東京都の地下には皇族専用の地下鉄が走っている。大地震が起きると、首都圏では火災旋風が起きる。東京都で安全な場所はただ一つ。要人用の核シェルターだ。だから、ボクは、大災害が起きたときに秘密の線路を使って脱出しようと妄想した。

眞子内親王殿下が結婚して渡米されると聞く。最後の妄想に皇族に関するものを選んだが、この国の神の子孫と言われる皇族が国民を蔑ろにしていないか懸念しているからだ。皇族の役割は、この国の平安を祈るためにある。それが守られなくなる時に何が起きるか。ボクは恐ろしい。

=======================

ボクが2021年5月にしていた妄想は、これが最後になります。この妄想で妻と息子やたくさんの人に迷惑をかけてしまいました。今思えば、息子を神様の使者だと思って恥ずかしい。だけど、記録に残しておこうと思いnoteに記事として書かせていただきました。最後まで読んでいただきありがとうございます。

5月にした妄想のネタが尽きたし、資産運用botで仮想通貨の運用をしてお金を貯めるので休載します。ボクの妄想が杞憂なら良いのですが、災害があったとしても、この国はまだ捨てたもんじゃない。きっと何とかなると確信しています。

目次

前の記事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?