見出し画像

読書感想 驚嘆の感覚(センス・オブ・ワンダー)

以前、voicyを聴いていて、山口周さんが「都会に身を置いても、大した情報はないものだ。むしろ、自然の中の情報は無数にある。」と話していた。(私はこのように捉えました。)

私はその話を聞いて、初めは「そうなのかなぁ、、、」と腑に落ちなかった。
だって、信号一つにしても電気系統が複雑に絡み合っているし、見えない電波だって飛んでいる。会社の重要な情報だって都会に集まっているし、情報の叡智の結晶が都会のように感じていた。

しかし、よくよく考えてみると、自然の中の情報は非常に緻密で、想像を遥かに超えていることが分かった。
とある林を1人で散歩することがあった。山口さんの話していたことが頭にあったので、「本当に自然の方が情報はあるのかな?」と感覚を研ぎ澄ますながら歩いていた。

すると、聞こえてくる、聞こえてくる。

鳥の囀る音が。初めは大きな音を立てていたが、徐々に小さくなる。
高い音を立てたり、低い音を立てたり。リズムが速くなったり、遅くなったり。
止めてみたり、ずっと続けてみたり。

きっと、鳥の求愛行動の一つだろうと私は感じた。

鳥の囀り一つで、これほどの情報が飛び交うのである。

さらに、カサカサカサと落ち葉が擦れる音。ひらひらと木の葉が落ちる。風がヒューと吹く。カナヘビがシュシュシュと動く。雲が青空を流れる。それに合わせて太陽の光が差し込んだり、影ったり。

私が感じているだけでも、情報がたくさんあることが分かる。
自然の真骨頂はここから。「見えていない世界」である。

例えば、落ちているドングリが地に根を生やして大きくなろうとしていることや毛虫が葉の裏に卵を付けて子孫を残そうとしていること、息絶えてしまった生き物を食糧にしている微生物がいること。
私は、見えていない世界のことを認知していない。
だって、想像でしかないから。

でも間違いなく、私が認知していない世界が自然界では繰り広げられている。
しかも無数に。

都会の情報も、もちろん私が認知していないような情報がたくさんあるだろう。しかし、人工的に作られているものなので、情報量は高が知れている。自然界の情報量と比較しての話だ。

このことに驚きを隠せない。

ボケっと過ごしていると、そのことに気づきにくい。

今日、私は「センス・オブ・ワンダー レイチェル・カーソン著」を読んだ。


甥の息子であるロジャーとレイチェル・カーソンが過ごした日々について綴られている。しかも、自然の中での実体験を感動が伝わる言葉で書かれている。

私は、この「センス・オブ・ワンダー」から感銘を受けたのは、「ワンダー(驚嘆)の尊さ」である。

もし、八月の朝、海辺に渡ってきたイソシギを見た子どもが、鳥の渡りについてすこしでも不思議に思ってわたしになにか質問をしてきたとしたら、その子が単に、イソシギとチドリの区別ができるということより、わたしにとってどれほどうれしいことかわかりません。

センス・オブ・ワンダー レイチェル・カーソン著

「なんで鳥っていろいろな場所に渡るのだろう?」
「イソシギは家はないの?え〜そうなの!!」

こういう驚きや不思議に思う心を大切にしていきたい。

なぜなら、この世の中には、私たちの知らない世界が広がっているのだから。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?