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診察室で出会う○○の貧困

執筆:雨田立憲先生

いつものように救急車受け入れ要請のホットラインが鳴った。

救急隊:△△救急隊です。20代女性(Aさん)。腹痛での救急要請です。数日前からの腹部違和感があり、昨日より下腹部痛が強くなったとのことです。ショック兆候はなく、37.8℃の微熱があります。生理が数日前に終わり妊娠の可能性はないとのことです。なお、学生さんでご家族は県外とのことで同乗は先輩で彼氏とのことです。家族への連絡はまだです。

◆受け入れるまでに

指導医:いろいろ考えられるし、若い女性ですのでクリクラ(臨床実習)の学生のBさんと研修医Cさんで病歴・基本的診察をして想定される病態(診断)を考えてみてくださいね。女性特有の配慮も必要かも知れません。
救急車到着までに、BさんとCさんは症候学の本や救急マニュアルなどを開きながら、鑑別疾患や何を病歴で聴取するかなどを2人で話していた。

◆Aさんの簡単なプロフィール

Aさんは県外出身で、大学進学を機に当地へ引っ越した。今まで小児喘息のみでその他の病気をしたことがなかった。高校生までバスケットボールをしていたとのこと。アレルギー歴はなく、内服薬は生理痛がきつい時に市販の痛み止めを内服するくらい。喫煙歴はなく、飲酒もすぐに酔うのでお付き合いでたまに少しだけ飲むとのこと。大学生になってから生活費のためアルバイト(飲食店での接客)が主で、サークル活動は運動系の同好会にたまに顔を出す程度。

◆診察の結果

下腹部痛の診断鑑別となり急性虫垂炎・大腸憩室炎・異所性妊娠・骨盤腹膜炎などが鑑別になった。女性特有の疾患も鑑別になったっため更に病歴を詰める必要があり、妊娠は100%ないとAさんは言うものの再度性的関係も確認しておくことになった。Bさんが再度病歴を聞いたところ、生理はいつも通りであったことと前々回との周期も約4週間でいつも通りの間隔であった。また性的関係に関してはパートナーは付き添っている彼氏のみで、アルバイトや試験、インターンシップなどでここ半年くらい関係がないとのことだった。このため女性特有の疾患の可能性は低いと思うとの判断であった。
その後、指導医と一緒に病歴の再確認・診察を行った。腹部所見からは腹膜刺激症状が下腹部で強い割に嘔気・嘔吐・下痢などの消化器症状がほぼないことなどより、骨盤腹膜炎の可能性が高いとなった。再度こちらの考えている病名をAさんに伝えながら彼氏と分けて問診を行ったところ、涙を流しながら以下のように答えた。
こちらの学校へ進学した理由は、家が経済的に余裕がないこと、当地に祖父母の家があり東京より物価が安いという理由でこちらに決めたとのことであった。仕送りが十分ではないので飲食店のアルバイトで生活していた。卒業が近づくとどうしてもアルバイト時間が減るので前もって貯金しようとしていたが、コロナ禍もありシフトの時間が大幅に減り貯金が予定よりかなり少ない状況になった。友人からは「キャバクラもあるよ」とは言われたが、お酒が弱いのでスナックやガールズバーなどの飲酒するアルバイトは無理と思っていた。どうしようか迷っていた時に街で声をかけられた風俗のアルバイトが時間的に短くても収入を得られると思ったが、そこまでしたくない気持ちと貯金したい気持ちで迷った。その際にSNSの投稿などで意外と怖くなく時間も自由にできるからとの情報もあり、嫌々ながら風俗のアルバイトを数回行った。その時、恐れたことが起きた。断りきれず無理やり性交渉をされてしまった(レイプ状態)。そのような事が嫌になりそのアルバイトは辞めたが、しばらくしておりものが増えてきた自覚があった。ネットで調べておそらく性病にかかったのではないかと気づいていたが、病院受診の勇気がなく迷ってるうちに腹痛が激しくなり、その時に偶然彼氏が訪ねてきて救急搬送になったとのことだった。
その後本人に同意を得たのち婦人科コンサルトし診断はクラジミア感染症と確定し治療開始となった。

◆学生Bさん、研修医Cさんとの振り返り

指導医:Aさんは自分でほぼ病気のことが分かっており彼氏も付き添っていたため、話せなかったのでしょうね。搬送された時の顔の表情やBさん、Cさんが問診をしてる時の表情などが少し気になっていたので、敢えてこちらの考え(診断)を伝えて聞き直すことにしてみました。また、産婦人科診察時に再度追加で確認したところ、彼氏とはこのアルバイトをしてる自分が嫌だったので性的関係は一切ないとのことですので彼氏の方はほぼ大丈夫と思います。Aさんは本来は優しく真面目な性格なので、彼氏や家族に経済的なことを相談できず、また自立したい気持ちもあり頑張ろうとしてこのようになったのでしょうね。頑張ってる人が不幸にならない社会になってほしいものです。
学生Bさん:本当に「〇〇の貧困」との言葉が多いですし、実際に当院の実習中にいろいろな経済的問題を抱えてる患者さんを何人か見てきたし、ニュースで子ども食堂などを見聞きはしていましたが、貧困問題は自分とは関係のないどこか別の世界のことと感じていました。今回のAさんは自分と同じ大学生ですし、彼氏もいて普通に自分の周りにいる友達感覚の患者さんでしたので、貧困のニュースのことを身近に感じました。また、ネットとかで女性が風俗やいわゆるパパ活などで生活費を得てる[1]など聞いたことはありましたが、身近すぎて本当にショックでした。患者さんの背景を知ることは大切と理解しているつもりでしたが、Aさんの症例から社会環境のことや変化が分からないと本当の診療はできないと感じましたし、社会環境などをニュース等から学び、その背景を知ることも診療で重要だと感じました。

◆貧困社会について

コロナ禍以前からいろいろな日本の貧困問題が話題になっていたが、コロナ禍で更に問題が強調されるようになった。特にアルバイトができなくなった(制限された)大学生等の困窮はマスコミで大きく取り上げられた。日本は1990年代ごろより働き方の自由を謳い文句に労働者派遣法の改正が立て続けに行われてきた。また2004年には製造業への派遣労働を認め非正規雇用が進み、特に歴史的に日本はジェンダー・ギャップ指数が低く、男尊女卑も残っている中で女性から非正規雇用が進んだ[2]。また同じ2004年に、日本学生支援機構が大学奨学金の有利子融資を開始し、その一方では学費の値上げも行われた。世帯年収が低い家庭の学生が奨学金を契約すると借金になる傾向が強くなり、雇用の非正規化により親世帯も貧しくなり学生の負債が増える悪循環もみえる状態となった[3]。
また、大学進学率の変化もある。以前は経済的にゆとりのある層に進学が偏っていたが、2020年に近づくにつれてより幅の広い経済的背景を持つ学生の増加がみられる。このことも前述の親世帯の経済状況の悪化と合わせて、いわゆる学生の貧困が増えている要因と推測される。
全国大学生活協同組合の調査でも約半数の学生が生活費やお金のことで悩んでいる実態も浮かび上がっており、コロナ後では授業・レポート等の勉学の悩みよりも上回ってる実態もみえる[4]。同じような調査として、マイナビの調査で約10%ほどコロナ禍でアルバイト(就業)が減っている実態もあるし、シフトの減少や内容の変更により就業時間が減少した実態もみえてくる[5]。


〔出典:マイナビリサーチラボ 大学生のアルバイト実態調査(2021年)〕
図版はクリックで拡大します

〔出典:マイナビリサーチラボ 大学生のアルバイト実態調査(2021年)〕
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このような状況の中で、さらにコロナ禍によりアルバイトのシフトが減少し、学生の収入が減少することによりいっそう貧困化していく。私たちの地域の公的大学でもお弁当の配布や食材提供などがニュースとなっていた。このような社会の中で一部の学生が時間の割に収入の良い風俗等に流れるのは、ある意味自然な流れかも知れず、その結果今回のAさんのような学生は一定数いると思われる。
 
参考:ジェンダー・ギャップ指数とは、世界経済フォーラムが「経済」「教育」「健康」「政治」での男女格差をみる指数で0が完全不平等、1が完全平等を示し、1に近い方が平等に近く、日本は2022年 0.650で116位、2023年 0.647で125位と低い状況である。


参考資料

1:学費のために体を売る学生が急増中。日本の貧困を本格化させた「2004年の分岐点」とは?  2023.12.22配信 集英社オンライン https://shueisha.online/articles/-/181688

2:男女共同参画局ホームページ GGI:ジェンダー・ギャップ指数 https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

3:東京都立大学 子ども・若者貧困研究センター 阿部 彩:学生の貧困とアルバイト(Working Paper Series Vol24) 2023年3月31日 https://beyond.research-miyacology.tmu.ac.jp/assets/sites-files/files/child-and-adolescent-poverty/wp/2022_wp24_%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%88.pdf

4:全国大学生活協同組合連合会 第59回学生生活実態調査 報告概要 2024年3月4日 https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

5:マイナビキャリアリサーチラボ 大学生のアルバイト実態調査(2021年) https://career-research.mynavi.jp/reserch/20210428_8699/


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※このエピソードは実話ではなく、これまで経験した例をもとにしたフィクションです。


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