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No.30ヨーデルを教えていく私の使命

🟢育てるということ
世界にはたくさんのヨーデラ―たちがおりますが
私はヨーデルの師匠 ウイリー沖山門下の1人として「トレモロヨーデル」を究極のヨーデルフレーズとして歌い、生徒を育てております。
 
やがて彼らが講師となり次世代を受け継いで八月真澄ヨーデル教室を担ってくれることを期待していますが、まだ一人として後継者はおりません。
それだけ難しい道なのです。

🟢生徒を選ばない
私以外にもヨーデルを教える女性がいて彼女は「高齢者」は
絶対に教えません。(笑) 問い合わせがあるとまず年齢を聞いて、高齢者だとわかると適当な理由を言い、私の名前をあげて八月真澄のところへ行けと言われたそうです。

私はすべての年齢の生徒を受け止めてきました。
高齢者の方々はヨーデルという「音楽」をよくご存知でしたので逆に教えてもらったものです。

その講師は2006年の私のディナーショーで入りきれないお客様のために
特別に設けた立見席で私の生徒の席を見つけ、名刺とチラシを持って
堂々、自己紹介をしていったと生徒の報告がありました。
彼女の思惑通り、生徒の一部は彼女のもとへ去りました。
このかたのエピソードはあまりいいことは聞きませんが おかまいなく
私はひたすら「よみかる」の講師として続けました。

🟢カルチャー教室と個人レッスン
2006年から2020年まで「よみかる」(よみうり文化センター)で教えてきましたがプロのシンガーがヨーデルを教えるのは国内ではここだけでした。
'20年で最後にしたのは私が発表会などの演出を任せていたある生徒がだんだん何かと越権行為をするようになったからです。
その越権行為は目に余るものとなり私は神経性胃炎を患ってしまいました。

アマチュアのサークルとレッスン教室の違いを出すためには講師が色んな意味でプロフェッショナルであることが大事でした。
カルチャーの講師は生徒と仲良くなるのはいいのですがどこかでけじめをつけ、あくまではじめに講師ありきです。

カルチャーでは一人ひとりの声が聞き取れず、個人レッスンに月2は来てもらうようにしていました。そこではマル秘ワザも教えて発表会前になるとステージでの動きも教えました。
またヨーデルはイントロやエンディングについている曲がほとんどなのですが歌自体も個人レッスンで教えてきました。
歌詞を原語で歌いたがる生徒には敢えて1コーラスだけ歌わせあとは自作の日本語歌詞を作ってもらい自分の言葉で歌うように指導しました。
このほうが感情移入しやすいからです。

🟢「テキストありき」で教える
私はオリジナルの崩れないメソッドを開発しました。
それを一冊の本にし、自主練用のCDも添付しヨーデルテキストとしてこれを元に教えています。本に関しては別項目にてあらためて解説しています。

🟢これからのヨーデル指導はまず視覚から!
ヨーデルの楽しさをしってもらうと「学びたい」という人が必ず
出てくると思っています。
それには映像にして総合的に表現することもアリかなと思ったわけです。
でもビンボーな私が映画を作るのではなくシナリオを書くということです。
私はミュージカルの世界にても活躍してきたのでそれらを活かして
ヨーデルミュージカル作品を考えました。

さる9月30日しめきりのとある映画祭のシナリオコンペに数ヶ月の執筆期間を費やして書き上げた作品は映画60分ものですが、受賞発表は来年2024年1月です。シナリオの中には3曲のヨーデルオリジナル楽曲を組み込み
動きもト書きで書いています。
それはヨーデル指導をしてきた、ヨーデルを歌ってきた自分の「区切り」でありヨーデルの楽しさ、深さを映像で知ってほしいという 日本初のオリジナルな発想です。

作品としてシナリオが出来ていれば舞台作品にもなりうるのでエネルギーをめいっぱい込めて書き上げました。




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