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女の命と、それを助ける街について。

好きな音楽、好きな本、好きな食べ物、好きな洋服、それぞれこだわりのあるジャンルの中にもう1つ入れるなら、わたしは「ヘアスタイル」を入れる。わたしは自分だけでなく人のヘアスタイルも見て楽しむくらい、「ヘアスタイル」にとても興味があり、こだわりが強いのだ。幸いにもわたしの顔のパーツはみな主張が控えめなため、際立って似合わないヘアスタイルはなく、中でもパーマスタイルを好んでいた。ほぼ毎月、パーマやカラー、カットを楽しむため美容院に通っているが、美容院自体はこれでもかというくらい苦手である。以前にも書いたがまずシャンプー台にうまく倒れられない、そして起き上がれない。それでもヘアスタイルを楽しみたいから、通うのだった。

そして悲劇は起きた。

日曜の午後、1つ隣駅の美容院に向かった。この美容院に通い始めたのはここ2~3年のことだろうか。それまでは小中学校時代を過ごした神奈川県にある、寡黙で変わったおっちゃん美容師のもとへ足しげく通っていた。彼は基本的に人の話を聞かないし、オーダーより切りすぎ、パーマ掛かりすぎは当たり前だったが、結局格好良くなるというセンスは抜群の美容師だった。しかし現在東京住まいのわたしの家からは移動時間が一時間弱あること、オーダー通り行かないことが度々ある、ということから、ここ数年は通う頻度がめっきり減ってしまった。そして紆余曲折を経て、隣駅のまあまあ今時な美容院に通うようになったのだ。


その日のわたしは、いつものようなくりんくりんのパーマより、1つ1つのカールが大きいの緩いパーマになりたいわん、と思っていた。担当美容師はわたしのオーダーに快諾し、現在かかっているパーマをストレートパーマ剤でほぐせば緩いパーマが実現されると申した。わたしは信じられなかった。それで髪がまっすぐになってしまったら恐ろしい。だからきっぱり断った。しかし美容師は自信満々に緩いパーマが実現できることを強く訴えた。数回に渡る押し問答の末、わたしは彼を信じることとなる。

こういう技術を知っている美容師は少ないんですよ~、とわたしの髪の毛をほぐしながら、鼻高々になった美容師は語る。やがてシャンプー台に移り、薬剤を流され、再び鏡の前に戻ると…おや、何だか懐かしい姿だな。まるで女子高生の時のわたしと対峙しているようだ、わたしは鏡に微笑んだ。そう、決してギャルとは言えないが唯一「ギャルだった」と言えよう(制服のリボンを緩めることと、スカートを少し短くしたことを、わたしの中でギャルと呼ぶ)、あの時代のわたしはストレートパーマを当てまくっていた。まさにあの頃のわたしがそこにいたのだ。「(パーマ)とれすぎてません?」「そうかなあ」焦りからか全く表情のなくなった美容師は、「じゃあ僕のほうで少し巻いときますね~」とあたかもサービスのような口ぶりでカーラーを巻き始めたのだ。その間、わたしは菩薩のような穏やかな表情で雑誌に目を落としていた。正真正銘、これは「施術の失敗」というやつなのだ。


今思えば仕上がりもセットも酷いものだったが、その時のわたしは「菩薩対応」で店を後にした。一日経てばスーパーセンセーショナルなヘアスタイルに仕上がっているかも?!なんて、家に帰って自分なりにセットを研究しながら、このヘアスタイルを愛そうとした。しかし悲しいことに、それは1日たっても愛せなかったのだ。

わたしは人生で初めて「美容院に行って失敗する(される)」という経験をした。それは思っている以上にショックで衝撃的であった。また、人生で初めて「お直し」たるものを冷静に頼んだのだが、彼自身が「(自分の技術を)信じて」といった言葉に対する謝罪が一切ないことに、むしろそのことに対して大いに傷ついていることに気づいた。これを姉に話すと、彼女はぽつりと言ったのだ『髪は女の命だからね』。あ、ソウカ。わたし、髪の毛に命かけていたのか!恥じらうような乙女心をこのくるくるパーマに乗せていたんだ。わたしはすぐに神奈川の美容院に電話をした。予約が空いていたのは、そのお直しの日と同じ日だった。わたしはお直しをキャンセルして、4日後に神奈川の彼のもとへと飛んで行った。


随分前置きが長くなってしまったが、わたしが今日伝えたいことはこのオシャレ美容院で失敗して乙女心をを傷つけられた話、ではなくこの神奈川県の街についてのことだ。わたしは関西で生まれ、父の仕事の都合から関東圏に転々と住居を移し、現在は東京の一角で細々と暮らしている。
中学、高校と友人ができてもその後引っ越しを重ね、距離的にも友人たちとは疎遠になった。そもそもわたし自身が周りと1テンポずれた存在であったことも今になって分かることだが、当時はそんなことに気づかず別の土地で成長していく。成長していくと、その過程をお互いに見ていないから、どんどん「知らない人」になっていく。わたしはその成長が怖くて、ますます彼らが苦手になってしまった。本当に愛すべき友人とひょんなことから再開することもあったが、それでもあの頃大人しいようなちょっと変わっていたヒガシノという人物ははみんなの記憶から刻一刻と消え去っていたはずだ。

だからその神奈川の街に降り立つと妙に落ち着かなくて、(決して誰にも気づかれないだろうが)もし知り合いに出会ってしまったら、とか、成長した彼らがどんな生活をしているのかとか、余計なことばかり気になって少しだけ落ち込むのだ。わたしはこの街で一定期間学生時代を過ごしたが、今はまるで関係のない街で、でももしこの町がわたしにとって「地元」というものになっていたとしたら、違う人生を送っていたなあと思う。だけど、そう思うだけである。


美容院への行きの電車は普段全く乗らない電車なものだから、どの駅で人がたくさん降りるのか分からなくて何度も人に流された。乗客の雰囲気がいつもの電車の雰囲気と違うので、わたしも借りてきた猫のような感じになった。
途中、路線を見ていたら、昔母が作った駅名をただリズムに乗せただけの歌を思い出した。都内の祖父祖母の家から帰るとき、いつもそれを歌っていた気がする。きっとその歌を口ずさみながら「あと何駅で家に着く」って頑張っていたんだろう。この歌のことを話せば、母はわたし以上に子どものように喜ぶはずだ。
帰りの電車はうるさくて、乱暴で、思わず背筋を正した行きの電車とは大違いだったが、妙に落ち着きを感じている自分がいて、今わたしはここで生きているんだなと思った。

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