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「妹のことを話してみたい」(その5)~ 結婚生活

 その後、どのような人々に囲まれて、どのようなことにチャレンジし、その後、どのような経過をたどったのか、詳しいことは聞いていない。

 自分のことで精一杯、妹のことを気にかける余裕がなかったことに加え、大阪を訪ねたときの様子から、その後もアクティヴに人生を歩んでいるだろうと思っていたし、そこに自分が介入する必要など全く感じていなかった。

 そんなわけで、接点はあまり多くはなかったが、結婚後、三重に居た頃の妹と2回だけ会っている。たぶん、大阪の従弟を訪ねた折りに、ついでに三重に住んでいた妹たちの住まいにも立ち寄ったのだと思うが、そのあたりの状況はほとんど記憶に残っていない。

 1度目は、結婚後、長男がお腹の中にいた頃。夫君と私、そして妹の三人で街中を歩いていたときのこんな場面を思い出す。身重の妹が息を切らしながら、歩き方が速過ぎると責めた。身重の自分の体のことも考えて欲しいと言われ、自分たちの配慮深さを恥じ入った。そのことだけが、記憶に残っている。

 その後、さらに二人の子供が生まれ、家庭菜園で野菜を育てているとか、子どもが着れなくなった服をフリーマーケットで売りに出しているとか、幸せな家庭生活の様子が伝わってきた。
 家庭菜園は、当時住んでいた社宅の庭の一部を、ママ友たちに呼びかけて畑をして使わせてほしいと会社側と交渉して実現させたもので、その話を聞いた時、中学時代に文芸同人を立ち上げたことや、高校時代にクラス全員を巻き込んで先生にいたずらを仕掛けたことなどを思い出し、変わらぬ妹らしさを嬉しく感じたものだ。

 そのころの私は、長野県上田市の自宅でピアノや音楽理論の生徒を教えながら音楽制作の仕事をしており、たまに届く三重から小包で、庭で採れた野菜やら子供たちの手紙などが届くのを楽しみにしていた。

 妹は、その頃の自分と学生時代の自分とを対比させて、こんな言葉を残している。

「やりたいことは全てやりつくした。心残りはなにもない。これからは自分のためじゃなくて、子どもたちのために生きようと思ってる」

 そんな、幸せを絵に描いたような生活が、その後も永く続くと思っていた。

   **  **  

 平成8年、大阪の従弟を訪ねた際、その途中で三重にも立ち寄ったのだが、夫の態度が、以前とは激変して驚いた。
 彼が何を思い、何を目指して生きていたのか、今考えてもよくわからない。誠実とか謙虚という言葉からかけ離れた終始投げやりで嘲笑的な雰囲気を漂わせ、妹に対しては愚弄するような言葉を続けざまに浴びせかけていた。実の兄が目の前にいるというのに・・・。
 それに対して、妹は特に嫌な顔もせず、ごく普通にふるまっていた。何か、現実離れした不思議な光景を見ているような違和感があり、こちらとしてはいたたまれない気分だったが、妹の涼し気な顔を見ていると、口出ししようにも何の言葉も見つからなかった。

 当初は一泊してすぐに大阪に向かうつもりでいたが、妹から「もう一日くらい」と強く引き留められ、確か2日余計に泊まることになった。そのとき妹の引き留め方には、「どうしてそんなに?」と思うほど強い気持ちが感じられた。


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