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「平木君のスピードボール ~ 小学校時代のエピソード」

 昭和40年代前半、僕が小学校6年生だったころの話。我が家は常盤町にあり、僕ら兄妹は、鹿児島市立西田小学校に通っていた。

 妹が小学校に入学して間もない春の土曜日、その妹と同じクラスの女の子が遊びにやって来た。1年生にしては大柄だった妹に比べ一回り体が小さく、おとなしくて人形のような子だった。

 なぜそのことを覚えているかと言うと、1年生が1人で歩いて来るのは危ないからということで、お兄さんが付いて来たからである。

 その兄妹が住んでいたのは同じ町内ではなく隣町、我が家までは少し距離があり、お兄さんは、親にそう言われて付いてきたと言っていた。

 そのお兄さんというのが、まだ小学校6年生、つまり自分と同い年だった。クラスが別で、名前も知らなかったが、顔には見覚えがあった。

 学校で何気なく見かけていた男の子が、妹の保護者として突然身近に現れた。自分には到底できないと思った。同い年でありながら、その少年の精神年齢が、自分の遠く及ばない領域に達しているように感じた。

 妹たちが庭で遊んでいる間、その少年は縁側に越し掛け、静かにその様子を見ていた。母が菓子と飲み物を出したが、小さな声で

「いいです」

 と言ったきり、手を付けようともしない。その姿に近寄りがたいものを感じて、僕は声をかけることもできず、半ば身を隠すように勉強机に向かい、その頃熱中していた漫画の創作に取り掛かっていたが、心は縁側に腰掛けている男の子に向かいっ放しだった。

 母に言われた。

「あの子、偉いよね。妹のために付いてきて、じっと見守ってるって、いいお兄さんだよね」

「そう思う。僕にはできないよ」

「あんた同じ年なんだから、一緒に遊んであげなさいよ。ただ待ってるだけで、可哀想だと思わない?」

「・・・」

 ドッジボール用のゴムボールを取り出して、おずおずと遊びに誘ってみた。当時「庭球」と呼んでいたミニ・テニスをしたことを覚えているが、何かその男の子に対して、気楽に話し掛けられないまま、言葉少なめにそのゲームを続け、それでも何となく嬉しかったことを覚えている。名前は、確か平木君だったと思う。

 その平木君と、6年生後期のクラブ活動で再会することになる。
 ソフトボール部。それも、なんとバッテリーを組むことになるのである。僕のポジションはキャッチャーだったが、望んでそうなったのではなく、外れ籤を引いた結果だった。
 クラブは、2つのチームに分けられ、毎週水曜日に対戦した。僕は、キャッチャーというポジションに、これといった目標も無く就いていた。
 そのうち、自分の欠点に気づいた。目の前でバットを振られると、条件反射的に、目を閉じてしまうのである。その結果が捕球ミス。始めのうちは、自分だけが気づいていたが、ほどなく相手も気付いた。

 振り逃げの連続となった。

 相手チームの4番打者は野崎君という好打者で、打席に入るといつも初球を外野の後方まで飛ばした。いつも、大量得点差で、こちらが負ける。
 そんな状況に嫌気がさしたチームメイトから

 「ちゃんと取ってよ」

 と、当然過ぎるクレームを浴びるようになっていた。

 そんな状況にあったある日のこと、次打者が強打の野崎君というとき、ホームでミットを構えている僕のそばに、ピッチャーの平木君が歩み寄って来た。

 「速い球を投げるから、しっかり取ってね」
 
 そう言われたときには、まだその意味がよく分からなかったのだが、投球フォームに入った平木君の右腕からは、それまでとは桁違いのスピードボールが放たれ、野崎君のバットは空を切った。
 突然のスピード・ボールに、僕はただ受けるだけで精一杯。バットの動きを感じる余裕さえなかった。
 以後、僕は、バットを振られても眼をつぶらなくなった。

 「すごいね。どうしてこんな球を投げられるようになったの?」

 「練習したからね」

 そんな単純な言葉を交わしただけだった。

 平木君がスピード・ボールを放ったのは、4番打者の野崎君に対してだけで、他の打者には、それまでと同じく打ちやすいボールを放っていた。

 懐の深さを感じさせる子だった。今ごろどうしてるかなぁ・・・。

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