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「妹のことを話してみたい」(その8)~ 婦人相談所にて

 上田の我が家に帰り着くと、妹からの留守番電話が入っていた。

 「これから上田に向かいます」

 故郷の鹿児島に向かうのではないかと思っていたが、鈴鹿の相談員との面談の結果、離婚調停に入った場合、鹿児島は遠すぎるということで上田になったということだった。

 留守電を聞いて、すぐ婦人相談所に電話を入れ、そして宿の手配をした。我が家は、仕事場を兼ねており、楽器や本、楽譜などが所狭しと並んでいて、母子4人を泊めるスペースはない。

 妹が上田駅から電話をくれたのは、夜9時過ぎだった。車を飛ばして駅についてみると、南口の階段を降りたところに4人が立っていた。上田でその姿を見るのは不思議な感じがした。

 14年前、東京にいた自分が、故郷の鹿児島ではなく信州に向かった理由の一つとして、干渉されることを避けたいと思ったことがあげられる。常識や因習に捉われることなく、自由に時間を使い、人生を積み上げてきた。信州での全ての時間と空間は、「個」であることとを前提として視野に入っていた。
 そこに、妹に連れられて、幼い甥っ子と姪っ子たちがひょっこりと現れた。元気な子供たちの姿を見た瞬間、シリアスな小説にアニメのとキャラクターが突然登場したような、周囲から少し浮き上がったような不思議さと同時に、無条件な嬉しさも感じていた。そして、大変な思いをしてたどり着いた妹をとにもかくにもねぎらってやりたかった。
 それまで、ビジネスホテルのツインルームに4人と、窮屈な思いをしていたのを知っていたから、広い和室を予約しておいた。

 子どもたちは大はしゃぎで布団の上で飛び跳ね、妹がたしなめても、その賑やかさは留まることはなかった。子どもたちにしてみれば、久方ぶりに訪れた解放感に心がはじけ飛ぶのも無理はないことだったろう。ついには3人とも母親から尻を叩かれ、涙を流していた。

 自宅へと戻った私は、その夜、まんじりともせずに朝を迎えた。8時には宿屋に直行し、市役所の母子相談室に電話を入れ、予約の取れた10時に、4人を車に乗せて窓口を訪ねた。

 50歳前後の女性の相談員の方が、それまでの数年間の経緯を親身になって聞いてくださった。同情心あふれる穏やかな口調での対応が、それまで過度の緊張から硬直しっ放しだった妹の心を、そして私の心を、ほぐしてくれた。
 とにかく、その夜から眠れる場所を確保しなければならない。妹の意向を受け入れ、いくつかの可能性を探り、鈴鹿をはじめ、様々な相談所などと連携を取りながら、懸命に対処してくださった。正直に言って、役所で働いている方が、これほどまでに誠心誠意で相談に乗ってくれるとは思っていなかった。

 「私もベテランの相談員ですから、今までに様々なケースを見ています。あなたのために出来るだけ良い方法を考えようと思ってますからね」

 「ありがとうございます。私ひとりのために、こんなに一所懸命考えてくださって、そして何人もの方に助けていただいてびっくりしてるんです」

 「だからあなたその分だけ幸せにならなきゃだめよ」

 ― 良い方に巡り合った・・・


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