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無題

SNSの投稿を定期的に消したくなる。
SNSの投稿は、過去に生きていた自分の垢のようなもので、他人に見せることはおろか、自分でさえも好き好んで見たいものではないという感覚がある。私は、過去の自分は好きではない。このnoteの過去投稿もすべて消してしまいたい。

図らずも、私が最初に書いた記事が好評のようで、すべて消してしまうのは一体どうしたものかというような状況になってしまった。
記事を見返すと、当時の激情のまま殴り書きをしたような乱暴なもので、読みづらくてたまったものではない。私としては、あの記事は、広大な海に向かって叫ぶ罵詈雑言のようなものだった。海の彼方に飲み込まれていくだけだったはずの言葉は、実はずいぶんとたくさんの人の耳に届いてしまったようだった。「スキ」の通知が来るたびに、嬉しいような、こそばゆいような、そんな複雑な気持ちでいっぱいである。
しかし、読んでくださった方々の当事者たちへの理解の一助となれたのならば、もしくは、当事者たちに寄り添うことができたのならば、これは幸いなことである。

そういうこともあって、過去の投稿は残した方がよいだろうという判断の元、せめてアカウントの名前等を変えた。過去の私の更新である。

私が離れている間に、当時、素敵な記事や写真などを頻繁に更新していた方は記事を更新しなくなっていた。更新がなくなったアカウントというのは、住み手がいなくなった部屋のようである。そこにはその人の形跡がそっくりそのまま残っていて、ただただ一時的に外出しているだけのような無造作具合だ。冒頭で、SNSの投稿は垢のようなものだと言ったが、同時にその人自身の片鱗である。個性あふれる様々な片鱗が生々しく散りばめられているゆえに、私にはそれらの残されたものたちに、その人自身を感じ取ってしまう。とても愛おしいものに思える。現実と違うところは、その部屋はその人だけ自身のものということ。また気まぐれにでも戻ってきてくれたら何よりである。

新しく私をフォローしてくれた方もいるようだ。時々メールボックスに、noteから「○○さんがフォローしました」みたいな通知が来ていたので、薄々は知っていた。
まったく更新がないアカウントだったので、そのたびに申し訳がなかった。この場をお借りしてお詫びしたい。そして、フォローしていただいたこととても嬉しく思う。

今までつらつらと言葉を並べた。そして新しく活動をするかと思いきや、実際にはどのくらいnoteを更新するのかは定かではない。気が向いたら更新するということに尽きる。もしかしたらこの投稿後、またぱったりと更新が途絶えるかもしれない。
また、記事の内容についても、節々の私の気分によると思うので、特にこれと言って主たるジャンルはないと思う。ご了承願いたい。

私はというと、相変わらず東京の街で元気にやっている。みなさんも元気でやっていてくれたら嬉しい。
寒いので、くれぐれも体には気を付けて。では。