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今日の私は、お客さまは神さまじゃなく...

11,632日目

少し前まで、ドラマでも「お客さまは神さまだから」というセリフがよくあったように記憶している。

そういえば最近は言われなくなっているような、そんな気もするけれど、日本人なら一度は聞いたことのある言葉ではあると思う。

私は、この言葉を文字通り「お客さまを神さまのように敬って接しなくてはいけない」という意味で受け取っていた*。

だからこそ、日本のホスピタリティは素晴らしく、「いつでも笑顔で、頼む前に動いてくれるようなことも多いな」と思っている。


このことを最近考えることの背景にある出来事があった。


ルクセンブルクの銀行口座を開設したく、手続きを済ませた。だが、1か月以上経っても、来るはずの連絡が来ない。

改めてカウンターに聞きに行ったところ、手続きが全く進んでいないということを言われた。

その後、メールを受け取り、IDや署名の紙をプロセスの途中で無くしてしまったので、再度送るようにとの連絡を受けた。

一言「すみませんが」という言葉はついていたが、詳細はなく、一体何が起きたのか全然わからないままである。

これは個人情報の紛失ではないかと私は信じられない思いだった。

つまり、万一何か問題がある場合には迅速に対応されること、もしくは理由や詳細の説明責任があるものではないのかと期待していたのだ。「私はお客さま(お金を払う側)なのになんでこんなに平然とした態度なの??」という疑問があった。


お客さまは全く持って神さまではない、ことを突き付けられた事件。

この経験を以てたどり着いた解釈

”働く者としてのプロ意識とホスピタリティは似て非なり”

やはり、個人情報を紛失してしまうことはプロではない。
特に、銀行など大量の個人情報を扱う場所において、このようなことが起こるのは論外ではないかと未だに思っている。

窓口の人、オフィススタッフの人と複数人掛け合ったが、誰一人事情説明をしてくれることはなく、”なぜかわからないけれど起こってしまった”というのは、プロとしての失敗から学ぶ姿勢のようなものが見えてこなかった。

お客さまは神さまではまったくなくて、お互いに偉いも偉くないもない。ただサービスを提供している側はプロとしての役割に対する責務は果たしてほしい、そう感じている。

そして、この件に関して、お客さまの自分へのホスピタリティが不足していたことに対して不満だったのではないと考えた。

サービスを享受する側として、相手に銀行口座を開設するという目的を達成することを期待していただけ。

このような解釈にたどり着き、かつ複数の人に相談をして、この銀行で口座開設することはやめることにした。
(ルクセンブルクの名誉のために…このような紛失は普通ではないらしい)


正直、日本の生活では、ホスピタリティ=プロであることの前提 と勘違いしがちなのかもしれない(もちろんそういう職種もある)。それほどまでに、あたりまえのように気持ちよくサービスを享受できる環境が整っていると感じる。

あまり、その気持ちよく の部分をあたりまえのように捉えないようにしようと思う。

ホスピタリティはあったらなおよし!プロ意識は欠けてはならぬ!

不満を感じたときに思い出そう。

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*少し調べてみると、元々の意味は違っていたという 言葉の意味面だけが先行することも気をつけないといけないな
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