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強い言葉の溢れるいたたまれなさの中で

こんばんは。今日は最近の言説空間に関する話です。

色々なニュースの波と氾濫する言葉の数々に、メンタルが揺さぶられているのを感じています。SNSのみならず、ニュースサイトであってもそこに溢れるのは不信感と攻撃性とにまみれた言葉たちです。正直なところ、年始から私はこれらの言葉を前にして自分の心と言葉をどうしたらいいのかわからなくなっています。

少ししか力になれないとはいえ被災地の方を何かしらの手段で支援したい気持ちはあります。あるけれど、周りに蔓延っている強い言葉たちのせいで、近づけないでいる状態です。初動で流れてくるたくさんの救助要請ツイート、公式の発信に群がる不謹慎なインプラゾンビたち、公的機関のあらゆる行動を政府批判に繋げようとする人々。その全部が、私には刺激が強いのです。

大学一年生の今頃、必修の英語の授業で、東日本大震災におけるデマの問題について4000語の英語レポートを書いていました。強くてネガティブな感情の発露、不安を煽るような言い回し、ハッシュタグによる紐帯の強化など、デマツイートがデマなのに拡散され流布する際の特徴を学びました。それ以来、ハッシュタグでつけられた「拡散希望」という言葉を見たら、自分で拡散せずに流すようになりました。私はそうやって身を守ろうとしていました。

でも、別の情報を集めようとして開いたSNSにどうしても流れてきてしまう恐怖を煽る言葉たち。誰かをまるで敵であるかのように攻撃する言葉。ニュースを見れば、震災を思い起こすような画像。だんだん私も余裕がなくなってきているのを感じています。帰省を終えて昨日帰ってきて、一人になると余計に苦しいです。

大学3年の春、パンデミックで全ての授業がオンラインになった時、その授業でお世話になった先生がメールで「今の状況は自分にはうまく対処するのが難しい。だから2週間全くニュースを見ていない。」といった内容を書いてくれたことを思い出しました。自分の健康を守るために、睡眠や気晴らし、食事などいろいろ気にして見ることがあるかもしれないということも。

しばらく、自分にとって優しい言葉のある空間をメインに過ごそうと思います。そこは多分SNSやニュースサイトではなく、大好きな物語や趣味の世界です。それから、アカデミック系に近い文章の世界。自分の心と言葉を守るために、自分でうまく距離を掴んでいきたいと思います。

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