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何をも燃やさないつよき火を

ああ、歌集のことをきちんと書こう、と思って筆を執った。

雪は朝(あした)のかがやきを降る


藪内亮輔の歌集『海蛇と珊瑚』を読み通した。
彼の作品のことは随分前に知っていた、その端正な美意識に惹かれ、本作を手に取ったのを覚えている。

"詩歌の世界で使い古された「花」「雨」「雪」「水」が、この人の手にかかると、世界で初めて使われたかのような歌が生まれる。(帯文:金原瑞人)"

このような言葉でもって姿を突き止められるのはきっと幸福だろうと思う。はじめて出会った時から、彼の眩しい言語感覚は私の中に通底している。

暗闇にふればしばらく明るみて雪の最期は溺死か焼死 /藪内亮輔「魔王」

雪の最期とは死であるのだという。わずかな光を発したのち、かれらはその最期を瞬時に選び取る。溺死か焼死。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく /「花と雨」 

本歌集をひらくと、読者は第一にこの歌に出会う。街の一面をおおいつくした雪は目にあかるい。「傘をさす」「ひとはうつむいて」とひらいた表記の中に、鮮やかに「一瞬」が差し込まれる。あかるさに目をうばわれながら足を踏みいれる一瞬、ひとはうつむいて黒い影をみる。

眩しく曇りのない世界に差し込まれる濃い影。本書の巻末では、"この一瞬の無意味な動作こそが、この映像を立体的にするのである(解説: 永田和宏)" と力強い評が寄せられている。"無意味のもつ力を深く自覚している"、"確かな描写の力"。

さらにいうと、彼の歌のはらむ美しさは、そのようなコントラストへの繊細な感受性によって生み出されているのかもしれない、と私は思う。
同連作から続いて以下の歌を引用する。

わが肺にしづかな痛(つう)をおいてゆく冬の空気かあたたかくはく

話しはじめが静かなひととゐたりけりあさがほの裏(り)のあはきあをいろ

電車から駅へとわたる一瞬にうすきひかりとして雨は降る
 /「花と雨」

冬のりんと冷たい空気が、肺に「しづかな痛をおいてゆく」こと。人の放つ言葉の一瞬の静かさ。あるいは、電車という空間から抜け出したわずかな瞬間にのみ「うすきひかり」となる雨。
いずれも、現象にある感覚のわずかな落差を鋭敏に切り出して歌とする。その姿勢が聡く、しなやかだと思う。

微細なコントラストを捉える確かな描写で、鮮やかに抒情を切り出す先鋭の歌人。それが彼への第一の印象であった。

泣くときはいつしんに泣け夜明ければ雪は朝(あした)のかがやきを降る /「海蛇と珊瑚」


告ぐれよ愛は愛を殺すと

しかしながら、藪内亮輔という歌人にはもう一つ大きく印象的な側面がある。

"歌とは私にとってまずは濾過器であった。
目蓋は私たちから一滴の涙をしみ出させるが、歌は激情肌の私から、三十一文字の言葉を静かに取り出してくれた。
それは呪いであることが多かったが、生の祝福であることもたまにあった。"
 /歌集『海蛇と珊瑚』あとがきより


端正、と言い切るはあまりにも烈しい感情。荒々しい「呪い」ともいえる感情こそが、彼や彼の歌を衝き動かすエネルギーであるように思う。

歌集を読みすすめていると、その印象はとくに後半、二部や三部の収録歌の印象として色濃く表れているように感じる。
冒頭作「花と雨」に見られたようなモチーフと描写の徹底的な美しさを基軸としながらも、次第に「獣」のような荒々しさが、吐き捨てるようなそれでいて痛みを吐き出せない苦しみが、随所に感じられるようになる。

透けてゐた生きて光つてゐた水を蛇口がひねり捩ぢ切つたのだ  /「しなせる」

吐瀉物をにはたづみにも数へゐる痛みのなかに鳥は鳴くから /「霊喰ヒM」

熱い息を吐く獣に見つめられるような、読み手に予断をゆるさない凄みのある作品群。
わたしには獣の心はわからない。
彼は、暗闇のなかで憎しみや苦しみに猛り狂いながら時折、真っ赤に濡れた舌をだらりと覗かせる。

秋陽のなかをほぐれつつ降るあはゆきにゆるさずゆるされずわれらゆく
"刀は返り血を浴びざるを得ないからこそ美しい、と誰かが云った。
詩は死と掛かるからこそ美しい、と私の中の欺瞞が云った。"

魚(うを)と魚(いを)その薄氷(うすらひ)の異なりににくしみながらあなたを赦す
 /「霊喰ヒM」

「ゆるされず」「赦す」という言葉が繰り返し、焼きつくような温度で放たれる。
人から赦されるということは、感情の返り血を浴びてもいいと、そう告げられることなのかもしれない。

獣の心のことはわからないけれども、そこには確かに烈しい痛みと苦しみがある。
そして、その獰猛さの合間に絞られる熱い血のような感情に気づくとき、私は思わず息を呑む。

いたみとは光のやうで 重すぎて羽ばたけぬ海をずつと見てゐた /「おほかみの夜」

雨、おまへはどうかその儘 そのうちに僕はあなたの原子炉をぬすむ /「しなせる」


詩歌や歌集には、おそらく人ごとにそれぞれ出会うべき・読まれるべきタイミングがあって、固有の時機をみて人のもとに現れるものであるのかもしれない。
そのタイミングが来ていない限りは、受け取ろうと試みてもうまくそのエッセンスを手繰り寄せることはできない。

その時機を決めるのは、読者の気分か環境か、はたまた読み手としての解釈の技術や知識の分量であるのかもしれない。
ただ、いずれにしても作品にある美しさや情動を受けるために相応しい器が、焼き上がって手元にあってはじめて、私たちは真っ当に歌に向き合い、そこから滴り落ちる熱い感情を自分の内側へ染み込ませることが可能になるのだと思う。

長らく「端正な美意識」として留まっていた彼の印象が、私の中で咀嚼されアップデートされたのも、何か一つの決められたタイミングであったのかもしれない。

彼の獣性に対して向き合えるような適切なチューニングを、私がやっと得られたのだとしたら、それはとても嬉しいことだと思う。

中天に繊きいかづちひらきかけ告ぐれよ愛は愛を殺すと /「おほかみの夜」

ゆめみるために暗き心を 暗き火を 何をも燃やさないつよき火を /「つよき火」

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