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冬へ急ぐ

なんとなく日記を書こうと思った、ろくでもない日記を。だいたい格好つけた文章ばかり書こうとするから筆が続かない。ろくでもない美学に生き、いつかその美学のもとに縊り死ぬ。死なないために格好よくない文章でも書く、眠りにつく半時間、その間ありったけの残滓を発露する。生きるって日々無様であり続けることなんだって誰も教えてくれなかった。さすがにあんまり調子の悪い日にはしないんだけど、そうでもない日には歌集を持ち歩く。仕事の時は半々ぐらい(外回りに多くの場合歌の付け入る隙はない)。歌にもいろいろあって、重たい歌軽やかな歌、今日は重たくて美しい歌集を持ち歩いたんだけど行きの電車で気持ちを吸い尽くされてしまったからあまり成功ではなかったんだろうなこの選択は。

こころとは巻貝が身に溜めてゆく砂 いかにして海にかへさむ /川野芽生『Lilith』

選択は正しくなくても歌は美しい、私にとって身に溜まりゆく砂とは詩歌そのものだと思う。この歌で触れられている「こころ」はそもそもが海に属するもので、巻貝がその一生のうちにただ借りているもので、いつか「海にかえす」のだという。溜まりゆくこころを、いかにして海へかえそう。うっすらと降り積む澱のような、マリンスノウのような、きらきらと不純物、コランダムは純粋なものは無色透明の結晶であるがごく微量の不純物イオンが組み込まれることによって赤や青の宝石になるんだって。真珠もそんなんだっけ。私にとって詩歌とは、その内に取り込み異化することも能わず、ただ身と外界のわずかな隙間に滞留していく砂、いつか海にかえすだけの預かりものだと思う。川野さんの短歌はいつでも磁器のようにきんと冷たく対象を御する、この世のものや、この世にあらざるものたちを。私もまたそこにはるか連なるものとして、彼女の歌群に頭を垂れる。

自分が忠義に対して忠義を果たせない人間だというのはこの頃急速に分かり始めているのだけれど、時々それでも熱く義を働いてくれる人がいて、今日はそんな人に人と引き合わされていた。ありがたい、それは語義の通りめったに起こりえない稀有な事態を指す。引き合わされた相手も私とかなり似て外圧に弱い感じの人で、互いに外圧への弱さを察し合ったり、拡散する思考に従順な姿勢を垣間見たりして、人とそれから人と笑って過ごした。あとは、鶏のやわらかいところを刺したり焼いたりしたものをたらふく食べてみたりした。鶏は心臓までやわらかくてえらいね。私もいつかありったけ生きて死んで、心臓のやわらかなことを誇ってみたい。

冬へ急ぐ商店街につまずいてよろけるあいだ見惚れていたよ /山階基『風にあたる』

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