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『新島襄の青春』を読了。〜中浜万次郎と新島襄〜

『新島襄の青春』を読了しました。
私は、山本一力(著)『ジョン・マン』が好きで読み続けているのですが、この『新島襄の青春』を読むと、新島襄と中浜万次郎には、かなりの共通点がある事が分かります。

新島襄(新島七五三太)は、1843年に上州安中藩士の子として生まれます。1860年、17歳の時に軍艦教授所に入り、そこで教師をしていた一人に、中浜万次郎(ジョン・万次郎)がいました。何人かいた教師の中でも、海外経験者は中浜万次郎だけだったのでした。

中浜万次郎は、1827年に土佐の貧しい漁民として生まれ、1841年、14歳のときに遭難し、捕鯨船に助けられてアメリカに渡ります。
そして10年後の1851年に琉球(沖縄)に帰国するのですが、アメリカでは学校に通い、日本には無い教養や技術を身につけていました。

そんな中浜万次郎の影響も受けて、新島襄は1864年、21歳の時に函館港よ
り密出国を果たします。
中浜万次郎と同じく、アメリカでは教養とキリスト教を学び、1874年、31歳のときに帰国し、同志社英学校を設立します。

中浜万次郎は、偶然にというか奇跡的にアメリカに渡りましたが、新島襄の場合は自らの意思で、命の危険を覚悟して実行したという違いがあります。

中浜万次郎も新島襄も、アメリカでの人との出会いにとても恵まれました。そして2人とも、考えられないくらい勤勉であったという共通点があります。周りの人達が、異国の見ず知らずの人間に対して、教育の機会を与えるように協力をしたのには、その勤勉さがあります。

2人とも、明治維新後の日本の発展に大きく貢献することになります。
江戸時代末期には、命をかけて勉強し、そして戦った人がたくさんいます。そういう人たちの物語りを追っていくのは楽しく、読書は尽きることがないのです。

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