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『日録20世紀1989平成元年』〜この年、色々ありすぎました〜


令和になってから、あっという間に5年になっています。
昭和が終わってから、既に34年も経ったのです。
社会で活躍している若手は、徐々に平成生まれの人が中心になっていってます。
そして今年、2000年生まれの人たちが大学を卒業して、社会人になります。

1989年(平成元年)は私にとって、とてもインパクトのある年でした。
昭和40年に生まれて、昭和しか知らずに生きてきて、まだ24歳と若かった私は、年号も変わり、将来に希望を持っていました。

『日録20世紀 1989平成元年』

古本屋さんで売っていた雑誌です。
この雑誌の中から、特に私が印象に残った記事を紹介したいと思います。

天皇崩御

天皇陛下の病状が、毎日のように報道されていました。
日本国民は、ご回復を祈りながらも、どこかで覚悟は決めていたところがありました。
2月24日に「大喪の礼」が行われ、学校や企業は休みになり、商店街やショッピングモールも殆どの店が閉まっていました。
明治、大正という時代は既に歴史になっており、昭和も64年目を迎えていました。
私の父も母も昭和生まれで、記憶には昭和しかありませんでした。


人気漫才師・横山やすし、芸能界永久追放

80年代に、空前の漫才ブームがありました。
テレビでは、漫才番組が毎日のように放送されており、特別番組では「やすし・きよし」がいつもトリを飾っていました。
不祥事の多かった横山やすしさんでしたが、この時まだ44歳だったのです。
この頃の大阪には、インパクトのある芸人さんが沢山いらっしゃいましたが、横山やすしさんはその中でもずば抜けて印象に残っている芸人さんです。


不安と苦情の中で「消費税3パーセント」がスタート

既に忘れかけていますが、消費税というのは平成と同時にスタートしたのです。
今から思えば、3パーセントなんて大したことがないように思います。
この時、一円玉の需要が復活した年でもありました。


サンフランシスコに大地震

サンフランシスコという大都会を襲った地震で、高速道路が横倒しになっている映像は衝撃的でした。
そして6年後、まさか日本の神戸で同じような映像をにることになるとは、夢にも思いませんでした。


28年ぶり、ベルリンの壁事実上消滅

私はベルリンの壁というのは、単にベルリンという街を東側と西側に隔てるために、南北に造られていものと思っていました。
そうではないと知ったのは、恥ずかしながら最近のことです。
ベルリンという街は、東ドイツの中にあって、そのベルリンが東側と西側に別れていたのです。
なので、ベルリンの壁というのは、西ベルリンをぐるっと囲むように造られていたのです。
それだけを考えても、やはりベルリンの壁というのは異常な状態だったのです。


天安門広場「血の日曜日」の惨劇

もしもこの時に、中国が民主化されていたら、今の世界地図は全く違ったものにっていたのではないかと思います。
歴史に「もしも」はありませんが、現実の今の世界よりも平和になっていたかもしれませんし、もしかするとかなり不幸なことになっていたかもしれません。
それは、誰にもわからないことです。


色々ありすぎた年

この本を見ていて、本当に平成元年は色々とありすぎました。
平成に入ってすぐ、バブル崩壊が待ち受けているのですが、そんなことは当時の日本人には、夢にも思わなかったことです。
米ソが冷戦の終結へと向かい、世界に今までにない平和が訪れようとしていた年でした。
1989年平成元年には、夢がありました。


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