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【読書】『脳の外で考える』〜ジェスチャーを使う〜

アニー・マーフィー・ポール(著)『脳の外で考える』という本を読み進めています。
現在、「第一部 体で思考する」の「第3章 ジェスチャーを使う」を読み終えたところです。
この章では、数学や外国語を学ぶ時に、ジェスチャーを使いながら学ぶと、脳の負荷が軽減されるという内容のことが書かれています。

私が、ある国政選挙があった時に、とある国会議員の演説を聞きにいったことです。その国会議員が、やたらと手のジェスチャーを使っていたことに、とても違和感を感じました。
普段、私たちがよく目にする結婚式のスピーチや、会合などでの経営者の挨拶で、あまり大袈裟なジェスチャーを使う人はいません。
国会議員の場合は、意図的にやっているとしか思えません。確かに、ジェスチャーが大きいと、印象に残るのは確かで、選挙演説というのはそういうものなのかも知れません。

普段、私たちも知らず知らずのうちに、ジェスチャーを使っています。
久しぶりに会った人に、挨拶をする前に、手を振っていたりします。言葉を発する前に、会えた喜びをジェスチャーで表しているのです。この時のジェスチャーは、国会議員がするものとは、明らかに違います。

最近は、WEB会議というのが当たり前のように行われるようになりました。しかし、どうも私は画像を通しての会議というのは苦手です。セミナーとかいう形の、一方通行的なものならいいのですが、意見交換などの相互通行を行うには限界があります。
発言している人の無意識にやっているジェスチャーや、顔の表情が分かりにくいということが原因です。つまり、情報量が少ない訳です。
相互通行のコミニュケーションには、話し言葉に含まれない情報が必要な訳です。

情報量が少ないと、想像で補うしかありません。
その想像は、発言している人の本意とはズレてしまう可能性が大いにあります。もしかすると、本意とは正反対の想像をすることもあり得る訳で、そうなると大きな誤解を招いてしまいます。情報量が少ないというのは、そういう怖さがあります。

読書の楽しいところは、情報量の少なさを想像力で補うところです。行間を読むと良く言われます。
物語りの中で、「彼女と久しぶりにあった」ということが書かれていると、その彼女は笑顔で手を振っている姿を想像したりします。
読者の想像は自由で、誰にも迷惑をかけることはありません。勝ってに登場人物と会話をすることもあれば、著者と会話をすることもあります。

コミニュケーションというのは情報のやり取りで、それは人間の場合、基本的には言語ですが、ジェスチャーが加わることで、人の内面が見えます。それは、脳への記憶の定着に役立ちます。その機能を上手く利用すれば、脳の負荷が軽減されて、数学や外国語を学ぶ時に、効果的になるということです。


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