富士登山は規制すべき?富士登山の問題は何? 〜 一部の富士登山のあり方に対する非難や、飛び交う対処策について思うこと
富士山御殿場口のわらじ館/半僧坊の方のツイートより。
(ちなみに、わらじ館/半僧坊さんは、あのルートにおいて貴重なオアシスなのだ。お世話になっております。)
さて、ここしばらくというか、毎年富士登山に関しては、その登り方、登山客に対する非難がよく出てくる。
今回のは、
ガイド協会の投稿とそれにまつわる報道
↓
ガイドにお金が落ちないから弾丸登山を否定的に取り扱ってるのではないか?
↓
つまり山小屋もそうなんだろう
という解釈がなされる連想ゲームだった(と思う)
そもそも、例えば富士吉田の方では
と定義されており、これは高山病や低体温症を誘発しやすいので危険という啓蒙が行われている。
一方で、富士宮ルートでは、始発や早朝のシャトルバスで水ヶ塚公園などからバスで五合目に着いて山頂を目指し、夕方までには下山する「日帰り登山」は普及しているし、御殿場口のように、トレイルランナーがトレーニングとして山頂まで往復を日帰りで行うようなことも珍しいことではない。
しかし先の投稿とそれに紐づく報道は、「弾丸登山」=山小屋に泊まらない・ガイドを付けない富士登山という解釈がなされてしまう可能性が高い内容だったように思う。
で、結果として、富士山の山小屋に対するいわれのない避難に飛び火したのだと。
結局のところは、
(1) 富士登山は登山者それぞれの力量に応じた登り方をすべきであるということ(登山ルート、装備、スケジュールなど)。
が大前提にありつつ、しかしながら富士山に関して言えば、いわゆる”登山”目的ではなく”観光”目的で登る普段登山をしない人や登山初心者や外国人観光客も多いため、
(2) 知識や経験不足から気軽に登ってしまい、事故を誘発してしまう可能性がある
という懸念がある。
この (2) については、(a) 外国からの観光客についての登山口や富士山に辿り着く前に知ってもらうべき情報の啓蒙活動が必要だし、(b) 日本人観光客・登山客においても、リスクをきっちりと理解してもらう必要があるのだろう。
こうした、(1) や (2)-(a),(2)-(b) を解決するために、よく見かける「富士山も入山料をとればいいんだよ」というのが最適なソリューションになるかといえば、シンプルにそれで解決できる話だとは思わない。また、山小屋に泊まることができる最大人数に限って入山を認めるべきという意見も見かけるが、これも富士山に限って言えばいい案とは思えない。
例えば、後者については、台湾の最高峰である玉山においては、途中の山小屋での収容人数すなわち一日における登山客の制限人数となっている。そのため、山小屋の宿泊枠と入山の権利はワンパッケージとなっている。
じゃあ玉山方式を富士山にも適用すればいいんじゃない?となりそうだが、玉山と富士山では、それぞれにおける登山人口の違いやロケーション、観光資源としての活用のされ方が違う。なので玉山方式を取ることは、山梨でも静岡でも富士山を観光資源として活用することにつながらない。
「観光資源」という言葉に反応し、「富士山は信仰の山なのだから登るものではない」という意見をいう人もいるだろうが、そもそも富士山は、【信仰の山だから】→【登るものではない】ではなく、【信仰の山だから】→【登られてきた】のである。これは静岡側の修験道系の富士信仰においても、山梨側に江戸からの富士講信者を迎える御師住宅がなぜ多いのかを考えれば明らかである。
江戸時代以降、明治期に入り、富士信仰の修験道や富士講の勢いが無くなっていくと、今度は、明治期に開通した東海道本線と中央本線のおかげで、途中、馬車鉄道を利用しての富士山の麓までの距離が近くなった。また同時期に静岡や山梨では富士山観光に力を入れだして、富士山が観光地として身近になっていったわけだ。ちなみに富士山の山小屋でカレーライスが出されたのもこの頃かららしい。
その後、1964年の富士スバルラインの開通で吉田口の五合目まで行きやすくなったし、また同年には東京〜大阪で東海道新幹線が開通して、新幹線からの富士山も眺められることになったことから、昭和の富士山人気が盛り上がり、登山客は増加したということだ。ただし、5合目より下の山小屋などの施設は結果として廃れていったと。
つまり、富士山は、信仰の山でもありそして観光の資源でもあるのは、世界遺産への登録事由を見ても明白なのであり、「富士山は信仰の山なのだから登るものではない」という理屈はそもそも成り立たない。
では、「観光資源としての富士山」を考えたときに、そこに問題が生じる。
富士山というのは、独立峰であり、遠くから見るときれいな三角形をしているので、外国人観光客にとっても日本人にとっても”憧れ”の山になりやすい。だから一度は登ってみたい、となるのはわかる。
ただ、”一度は登ってみたい”と考える人の中で、登山経験の豊富な人とそうでない人がいるわけで、特に後者の人々にとって富士登山でありえるリスクを伝えるのは実は非常に難しい。
「わからないことがわからない」とか、「なにかを理解できるのはその前提となる知識がある場合」というのは、私自身が社会人の大学院で教鞭を取る際によく出会うシチュエーションだが、富士登山に関しても同じことは言える。
普段から登山をしていてわかってる人は富士登山に関するリスクも理解しやすい。結果として山行のスケジュールや装備もそれなりに準備をしていく(ただし認知バイアスで”富士山まで来たのだから多少の悪天候でも頂上まで行こう”と思ってしまうリスクは払拭できない)。
しかし普段から登山もしていないか、あるいはその経験がまだ少ない人たちにとっては、悪天候、高山病、夜間の山行、富士山のような岩の多い山での注意点などは、そもそも理解する機会もなければ、理解するために必要な前知識もない。
登山経験がありつつ、富士登山において妥当とは思えない行為をする人々は倫理やマナーの問題なので、叱責されるべきだろう。しかし登山経験のない・少ない人々や外国人観光客においては、そもそも叱責される理由が理解できない可能性もあり、叱責の理由が当人へのリスクだとは考えにくいのだろうから、そもそも”話を聞かない”。このあたりが啓蒙の難しさでもある。
さて、このように考えてくると、一律に、
富士山も高い入山料を取るべきである
「弾丸登山」を禁ずるべきである
山小屋の宿泊者数に基づく入山人数制限を行うべきだ
信仰の山だから登るべきではない
といった話のどれも総合的には妥当とは思えない。
入山料を取ることで制限できるのは、その富士山にその対価を感じない人であって、登りたい人は支払うだろう(エベレスト並みに徴収すべきというコメントもみたが、それは論外。富士山はエベレストと比べられるようなロケーションでもないし違いがありすぎる)。
登山経験豊富な人々にとっては富士山は日帰りで登れてしまう山であるし、山小屋の収容人数=入山人数となると富士登山の客数が減ってしまい観光資源としての経済的価値を活かせない。
信仰の山だから登るべきではない、という意見については、むしろ「信仰の山としての富士山を知ろう!」というアピールをすべきだ。例えば、富士吉田の御師住宅観光をセットにする登山をより告知するとか。そもそも頂上の”お鉢”は、仏教の八葉の”御八”から来ていて廃仏毀釈で変わったのだとか、山梨〜静岡の信仰遺跡とパッケージにしたツアーを組むとか・・・そのほうが、「信仰の山」としての理解は進むのではないか。
で、最大の懸念として、経験や知識不足の登山客による事故やマナー違反を以下に防ぐかに戻るわけだが、これは結局のところ、まずは、すでにあるような富士登山に関する「ガイドライン」のようなものをより活用し、ネットや5合目やより下の場所などで啓蒙するしかないように思う。
最近では登山YouTuberが増えてきているが、中には富士山に関するリスクを適切に説明せず、気楽に登れる山のように見せてしまってるものもあるが、そうしたインフルエンサーたちの動画は誤った認識を導きやすい。そのため、例えばそうしたインフルエンサーたちに対しては「富士登山の動画を作成する際にお願いしたいガイドライン」のようなものを作成して伝え、動画の中でコメントしてもらうようにするのは一つのアイデアではなかろうか。
また各国語で作成された「ガイドライン」は、それぞれの言語でネットで検索をして発見されやすいようにしつつ、上記の日本の登山インフルエンサーと同様にそれぞれの言語圏にインフルエンサーに対して「富士登山のガイドライン」を説明してもらうようにする、ただし各言語圏のインフルエンサーの場合、”登山インフルエンサー”ではなく”旅行系インフルエンサー”を対象にすべきであるということは考慮すべき。また地道にこれまで同様外国人観光客多い宿泊場所や五合目入り口などで周知するしかない。
上記のような「広報」「啓蒙活動」は、富士山にたどり着くまでにその多くの情報が伝わってなければいけないが、一方で、それらを読まずにあるいは読んでいても軽装etcで登ろうとする人々は必ず出てくる。いわゆる「入山料をとる」というアイデアはここでしか発揮されないが、それは軽装者を山に上げないための抑止力となるには、”お金を取る”だけでは解決しないだろう。
例えば、必要・推奨とされる装備品チェックリストがあり、それをパスした場合のみ、「入山許可証」が有料で発行される・・・という仕組みであれば、ある程度リスクを減らすことはできるかもしれない。
この”装備品チェック”は、トレランの大会参加者の間では大会参加時によく経験されてるものだが、山行中にそれぞれの参加者の身を守るための最低限の装備の所持をチェックするためのものだ。この点において、富士登山におけるリスク低減においても、どうようの策は効果的に思う。
つまり、「入山料」ではなく「入山許可証」方式。そしてそれを有料で発行し、その対応に関わる人への報酬とし、そして富士山の環境維持にも使う資金とする。
マナーの問題は、「入山許可証」方式にしても解決にはならないが、軽装者におけるリスクはこれで相当減らすことができるように思う。これなら私も喜んでそれに関わる金額を出す。しかし山に入るための「入山料」を富士山において徴収するというのは、その「入山料」の行き先含めて?が多くなってしまうだろう、きっと。
さて、長くなったけれども、ようは、
富士登山は本来、登山者の力量によってその山行計画がなされるべきである
しかし富士山は観光地でもあるので、すべての富士登山客が普段からの”登山”愛好家ではない分、観光客中心とした軽装者の事故が起きやすく、それを防ぐべきである
ただし過剰な富士登山への制限は、観光への問題、登山スキルのある人々にとってのメリットなし、となるので、避けるべきだろう
という、3点を持ってして、富士登山における議論は進めないといけないと思うのだ。一律に、一部の登山客や過剰にリスクを扱って、極端な話に持っていくのはいい道ではない。
ちなみに山梨のほうでは、8合目で登山客を制限するという案が出ているそうだが、すでに登山を開始した上での規制というのがどれだけ意味があるのかは疑問。
あと、弾丸登山を減らす最も具体的かつ効果的な方策は、吉田口や富士宮口に(弾丸登山につながる)遅い時間に到着するシャトルバスを無くすということじゃないかな。そもそも5合目アプローチをできなくすればいいわけで(それより下から来る人たちはきっと装備万端な人たち)。富士山の弾丸登山は、入山料一万円とるとかそういう話で解決せんよ。
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