見出し画像

くすぶり続ける希望を歌う ASIAN KUNG-FU GENERATION

先日アジカンのライブに行った。私と姉は10年以上前からアジカンのライブにはまめに足を運んでいる。そう、ファンなのだ。
確か初めて行ったのは「Re: Re:」ツアーで、あの頃は山ちゃん側で観たなぁ…などと思いを馳せてしまう。リリース時期などを詳しく調べられると年齢がバレるのだが、まあそれぐらい長い間彼らを見つめ続けている。

今回はなんと前から5列目という近さで、これ体験したことある人はわかると思うのだが、ライブって近すぎても恥ずかしいッ!!!!のである。

アーティストの顔がまじまじと見れる距離感ということは、とどのつまり相手からも自分の顔がしっかり見えてしまうーーーーーしかもその瞬間まで正直わかるーーーーーーといういたたまれなさがある。「やったー!近い席番だ!」と喜ぶのはまだビギナーで、この恥ずかしさを乗り越えた者こそが真のオーディエンスであると言われるーーーー(?)

そんなことはないのですが、そんな近さで観たライブを経て感じたこと。

まずアジカンを聴くときに私が常々感じていたのは「希望」だった。アジカンの曲は、じわじわと身体に広がって、ふつふつと希望が湧き立ってくる、そんな効能を持っている。こちらの意思とは全く関係なく、身体にみなぎってくる性質のものだ。

それを代表するのが「踵で愛を打ち鳴らせ」。なんと今回のライブではやってないのに紹介するのだが、「君という花」、「リライト」や「ループ&ループ」以降の比較的後期の楽曲で、個人的にアジカンの代表曲と言っていい。モラトリアム期の憂鬱を文語的に表現したり、「ファンクラブ」という内向的で鬱々としたアルバムをリリースしてきた彼らが、こんなポジティブなメッセージを真っ向から…と感激したものだったーーーーとここまで勢いよく書いたが、YouTubeでこの動画の概要を確認したらアップロード日がなんと10年前だったので目ん玉が飛びでた。後期とか言って、もはや中期と呼ぶのも悩むではないか。そして冒頭の「10年以上前からアジカンのライブにはまめに足を運んでいる」もダウトというのがバレてしまいました。15年以上前から観てます、すいませんでした。だから誰よりも私が「踵〜」を比較的新しい曲と認識しているんですね。

と見事に伏線を回収したところでライブの感想ですが、長年ライブを観ているバンドってイントロだけで曲がすぐわかる経験が増える。この日も始まってすぐわかりました、「センスレス」。ライブでこの曲やる確率すごい高いので、「好きですねぇ〜」と古参を自称するファンのいやらしいニヤニヤが出てしまう。どんどん展開していくハイブリッドな印象の曲ですが、きっと演奏してて楽しいんだろうな。
タイトルから私はスピッツの「さわって・変わって」連想した「触れたい 確かめたい」(※曲は全く似ていない)は車のCMソングだが、CMで聴くより素朴でゴロっとした感触があって、人間の温かさみたいなものを感じさせた。

そして、意外と演奏してくれる枠として「ソラニン」がある。この日もセットリストにあり、そういうサービス精神もフラットでいいなぁと思いますね。この曲はゴッチ作詞ではなく、リリース当時「歌詞に全く共感できない」とインタビューで語ってたのが印象に残っており、それでも(こんないいメロディーをつけて)ライブでやってくれるんだから、「みんなが聴きたい曲をきちっとやろう」というバンドの姿勢が表れているし、ファンとしては素直に嬉しい。ただ「ソラニン」は異端児なので、やっぱりセットリストに入ると少し浮いた存在になる。曲のヒリヒリ感が少し過剰というか、感傷的な記憶を否応なく引っ張り出されるような、当時つきあってた恋人と映画館で「ソラニン」を観た個人的な事情を差し引いても、青かった自分を重ねて泣きたくなる人は多いでしょう。ね?

アンコールで披露した「今を生きて」も最近はすっかり定番ですが、肩の力を抜いて聴ける雰囲気が大好きだし、ラストを飾った新アルバム収録の「Be Alright」も名曲だった。
全体を通して、市井の人々の営み、その大切さを、温度感を保ちながら鳴らしているのが今のアジカンなんではないか。アーティストの自覚があるからこそアーティスト然とせず、自分が世界を構成する人間であることにゴッチは意識的であるように見えます。その誠実な姿勢はバンドのスタンスに貫かれ、発信される音楽はやるせない世の中への切実さを伴っている。

何回も「もうダメだ!」と思った時、希望なんか捨てちゃった方が楽だと思うこともある。でも希望というのはなかなかしぶとくて、身体の中から簡単に出ていってくれはしない。アジカンの音楽は、しおしおになってもう消えたと思っていた、くすぶった希望に、何度でも火を灯す、そんな役割を果たしてくれるのだ。

ちなみに、近すぎて恥ずかしかった席だが、伊地知潔が一番よく見えて、普通にものすごくかっこよくてやはり恥ずかしかった。そして今回のセット、メンバーが1人ずつ四角いフレームに囲われていて、ご時世的にもソーシャルディスタンスを想起したが、最後にそのフレームが上昇して、文字通り枠を取っ払うのがめちゃめちゃスカッとしてかっこよかったです。これからも懲りずにアジカンを見つめ続けていく!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?