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2人で過ごす最後の12月がやってきた。

2013年11月。「卵巣嚢腫」により全身麻酔で手術を受けた日。
その10年後の2023年11月。私は産休のためお休みに入ることになった。

前述の通り、この度お子を授かりまして来年1月に産まれる予定です。
まさか手術の10年後、子供が産まれるなんて、当時の私は考えもしなかっただろうなあ。

(詳しくは下記に一部有料ですが書いています。)



当時は妊娠出産はおろか、結婚という文字すらまだ朧げな20代前半。
先のnoteにも書いたけれど、とはいえ「いつかは結婚して子供を産むのかなあ」くらいには考えていた。

しかし当時「これは手術しないと将来不妊につながる」と言われ、術前検査で病院に行き、同じような年齢の若い妊婦さんを見るたび「自分は今同じ理由でここにいるわけじゃないんだ」という、なんとも言えないつらさを感じたことは昨日のことのように覚えている。
(中でも1番辛かったのはそんな私を送り迎えしてくれた母が、同じように送り迎えで来ていた妊婦さんのお母さんから同じ境遇と思われ、話しかけられていたこと。あとから知っていたたまれなくなった。)

あれから早10年。
まさかそんな自分が妊娠して母になるとは。

この十月十日近く、身体の変化と共にたくさん思うところがあったので、時間があるうちに書き留めて置こうかと。

1つの細胞から命が始まることは知っていたけれど

元々「絶対的に子供が欲しい!」派ではなかった私。

医療がかなり発達した現代でも、不妊治療をしている人が多いことは知っている。

私自身、両親がなかなか子供に恵まれず、結婚10年ほど経ってからの子供だったことも聞いていたため、「まあそんな私がそんな簡単に授かれるとも思っていないし、個人的には夫と2人のんびり穏やかに過ごしていくのも全然ありかな」くらいに思っていた。
(どちらが正解とかではなく、どちらの人生でも楽しく健康でいられればいいと本当に思っていた。)

「子供が欲しい!」と病院に通っている人にとっては聞きたくもない話かもしれないが、それでも私自身、術後は再発の可能性があったので定期的に通院して薬は処方してもらっていたし、「実際に薬を止める=妊娠する可能性がある」わけだが、それも「=再発の可能性も高まる」わけで。

遅くとも半年くらいで自然妊娠しなければ不妊治療に早々に切り替えなさいとそれなりに厳しく先生に言われていた。

最初に決定的に身体がおかしいと感じたのはとんでもないだるさと動悸。
だるさはまだ耐えられても、仕事中突然動悸が辛くなり30分近くトイレにこもっている時もあった。

気持ちは名探偵コナンのコナン君が高校生に戻る時の感覚。
きっとあれはこんな感じなのかも、、とかどこか冷静に考えながらひたすら動悸がおさまるのを待つしかなかった。(不思議なことに少し経てばケロッと仕事をしていた。)

「もうこれはほぼ確定では…?」
「いやむしろそうじゃなかったら何か別の病気かもしれないし(こう考えるのは1回手術という現実を経験しているからだと思う)とりあえず確かめておきたい。」

と思いながら帰宅後ドキドキして妊娠検査薬で検査。
(この時のドキドキは大学受験で自分の受験番号をネットで確認した以来だった。笑)
結果は間髪入れずの陽性。

「えーーーーーーーーー(でもそうですよねーーーーーーー!)」
と夫が帰宅する前の洗面所とお風呂場の間で1人叫んだ。笑

つわりの恐怖と久しぶりの外出

後日病院で正式に確認してもらったのも束の間、嘔吐恐怖症の私はとにかくつわりに怯えていた。。。

正直妊娠するにあたりこれが本当に不安で、結婚した当初から夫にはひとしきり不安な気持ちを伝えていた。

とりあえずまだ元気なうちに出来ることはやろうと思い、私がやったことは大きく分けて3つ。

1.時間の概念をなくす
つわりで身体が思うように動かないため、だるいしんどい時は夕飯の準備もしないで横になっていた。
「何時だから夕飯、お風呂」とかは完全に無視!食べる時間も速度も常にマイペース!(時には1時間ちょいかけてスーパーのミニ蕎麦をおそるおそる食べていた。)

正社員で働いていたため、なかなか業務時間中は難しかったけれど、なるべく早く帰宅してベットに横になる生活。
眠ければ寝るし、何か食べたくなれば起きる。
仕事中も隙を見て休憩を取り、すぐに口にできるナッツ類とガムは常に持ち歩いていた。(この点は事務職+自分で仕事のペースをコントロールできるようになっていたので本当に助かった。)

私の場合、食べつわりとか特別表現できるものではない気がしたけど、ナッツは調子が悪い時に口にすると不思議とそのあと楽になったので以来必需品になった。

2.つわりバンドを常に携帯
妊娠する前に夫に買っておいてもらった「つわりバンド」をお守りにして常に携帯。
手首の吐き気に効くツボをつけられるもので、水にも強いためお風呂や食器洗いの時も気兼ねなく使っていた。

効果は人それぞれかもしれないが、私の場合「これをつけたら大丈夫」と思っていたのもあり比較的効果はあったかも。

あとこれを使っているときは自分の中で最終手段の意味合いが強かったので(常につけていると逆に効かなくなるんじゃないかと思ったりしてた)、夫が帰宅して私がこれをつけていると「しんどいんだな……」と察してくれて自分でご飯を用意してくれたりしたのも助かった。。


3.ビタミンB6が摂れるサプリ
これも妊娠前に鬼のように検索して見つけたもの。

海外の論文ではつわりにビタミンB6が効くという研究結果もあるらしく、これはバナナやレバーにも多く含まれているらしいのだが、なかなかつわり中は食べられない&効率よく葉酸も合わせて摂りたかったので私は「つわノン」さんにお世話になりました。

これは葉酸+ビタミンB6+吐き気を抑える作用のある生姜も配合されていて、これのおかげもあってか軽く済んでいたと思う。(これもお守り代わりに朝晩必ず摂取していた。)

ピルを長年飲んでいたのもあったせいかお陰様でだいぶ軽いつわりだったのではと思うけれど、それでも1人でどこかに外出しようとは思えなかったし、いつ体調が悪くなるかと薄氷を踏むような気持ちで生きていた。。

そんな少しだけ出かける気力を取り戻しつつあったころ、前から夫と申し込んでいたアイスショーイベントに行けた時は本当に嬉しくて、OPが始まった途端人知れず少しだけ泣いてしまった。これもマタニティブルーだろうか?

ちなみに余談ですが、つわり期のご飯を食べるのに気を紛らわしたくてNHK+で朝ドラの「らんまん」を見ながら食べていたのだけど、不思議とらんまんを見ながらだと気持ちがスッと楽になって普通に美味しくご飯を食べていた。
おかげで同じ回を何回も繰り返し見たりした。

私自身つわりが終わったあとに物語上では妻の寿恵子さんがつわりでじゃがいもを揚げたものなら食べられると言っていて、つわり期同じようにポテトチップスばかり食べていた私は「わかるよ……!すえちゃんんんん……!!」と共感の嵐だった。(結局すえちゃんはあっという間に3人のたくましいお母ちゃんになっていて尊敬の眼差しだった…。笑)

安定期までの長い道のりとSNSに翻弄される日々

私の仕事はコロナ禍で在宅勤務が可能になったとはいえ、タイミング悪くコロナ5類移行後は「在宅は週1まで」と厳しく制限がかかるようになってしまっていた。

これが精神的に本当に辛かった……。

つわりが軽いとはいえ毎朝満員電車に乗って出社し、普段通りに仕事をこなしてからまた満員電車で帰宅する、というのは地味にストレスで、予想外に早くきた夏日も相まってこの頃は本当に「今日も1日乗り切れますように」と家の神棚にお祈りする日々。

電車も朝はなるべく空いている時間帯にズラして乗っていたけれど、そうすると「少しでも遅延すると定時に間に合わないかも」というタイミングでの出社になってしまい、騙し騙し出社。。。
そんな矢先、全体の朝会で「人事部からも時間厳守と言われているので気をつけるように」と言われる始末……。

これは私個人ではなく全体に向けてだったけど、俗にいうマタニティブルーもあったのか、めそめそして半泣きで出社する日もあったり。
(軽いつわりでこれなのだから、本当に辛い人は本当に凄い……。みんなどうやって働いてるの……。)

そんな日々をなんとか通り過ぎ、無事安定期に入って部署に報告したのも束の間、今度は「これで周りの人は少しずつ報告しないとなんだろうけど、これから何かあったらどうしたら良いんだろう……」という不安がよぎる毎日。

一難去ってまた一難、とはよくいうけれど、その頃は本当にSNSを開くたび「おすすめ欄」に同じ週数の人の悲しいポストを見ることが多く(どこらへんが「おすすめ」なのか教えてほしい)、それを見るたび辛く不安が増したので、寝る前は「猫の動画を見て寝る」がルーティンに加わった。笑
いろいろな不安はあるし、考えたらキリがないけれど、自分から不安になる情報を受け取りに行く必要はないはず……。

30代の妊娠と20代の妊娠のちがい

よく「子供産むなら若いうちの方が良い」とよく聞くけど、
結果として私は30代で妊娠してよかったと思っている。

というのも妊娠してから1番強く感じたのは「日々変化する身体に合わせた服装をしなければいけないのは、20代(特に前半)では正直しんどかっただろうな」ということ。

私の場合、つわり期から身体を締め付けられる服(下着含む)はなんとなく居心地が悪く、初期の頃からゆるゆるな服ばかりをローテーションで着ていたので、多分これまで以上に「やる気のない」服装になっていたと思う。笑

出社するとピシッとしたスーツにピンヒールでTHEキャリアウーマンな人がいたり、華金(死語でしょうか?笑)のため華やかな服装で髪もメイクもバッチリな後輩ちゃんたちがキラキラしていたりするのを見るたび「ああ、これで私も20代前半〜半ばだったらそんな風にしたくても出来ない自分を悔やんでいたかも」と本気で思えた。

私はもう20代の頃ほどキラキラしたワンピースを着たい願望もないし、友達も比較的みんな結婚・出産して休みの日に会うことも少なくなってきた。
だからこそ今自分が周りの人たちみたいに生活できなくても、そこまで自己嫌悪に陥ることはない。

多分これが20代だったら、「もっと友達と遊びたいのに」「もっと自由に服を選びたいのに」「もっと旅行に行きたいのに」と欲にまみれて感情がぐちゃぐちゃになっていたかも。

これが中期〜後期に入るにつれて少しずつお腹が大きくなると物理的に着れる服が限定されるし、周りもわかる様になってくるから気持ち的にはまた違うかとしれないけれど、それでも「もしこっち(妊娠)の道を選んでいなければ今頃私も……」という気持ちはゼロとも言い切れなかったかもしれない。(あくまで私の場合だけど)

そういう意味ではやっぱりいろいろあったけど今のタイミングだったのかなあ、なんてぼんやり周りのキラキラ女子たちを眺めながら出社をしていた。


どれだけ想像してもたぶん想像の範疇を軽く超えることだけは想像できる

来年には家族が1人増える。
あと少ししたら私も街中で見かけるベビーカーを押すお母さんの1人になる。

そんなことをぼんやりと考えるけれど、どうやっても想像がつかない。

自分が一体どんな気持ちで子供を産み、育て、今度は何に悩み、何に泣くのか。
正直全く想像できないし、想像できたとしても多分それは想像の範疇を軽々と超えるんだろうということだけは想像できる。

不安はあげたらキリがないくせに、うって変わっていまだに「本当に?わたしが?子を産むのか?」という気持ちになったりもする。

少子化対策で世間を騒がせている今、正直未来も不透明な世の中で子供を持つという選択が正しかったのかどうかはわからない。
けれど、10年前仕事を辞め、手術をして筋力も一時衰えトイレまでの道のりも永遠に感じられた自分が今こうして子供を産もうとしている。

当時は「普通に健康で生きているだけで素晴らしい。」と日々の健康に感謝して生きていたけれど、そこからいろいろな縁をもらってここまで来た。
そう考えると本当に感謝しているし、多分この気持ちは子供が生まれたら尚の事強く思うんだろう。

今はまだお腹の中にいるけれど、私はすでに1人の人としてお腹の子に接したいと思っている。
たぶん産んだらそれどころじゃなくなって、日々泣き言を言いながら必死に生きているんだと思うけど、それでも1人の人が成長する過程を一緒に大切に過ごしていきたいし、なによりそんな経験をさせてくれる子にふとした瞬間に感謝するんだろうな、とも思っている。

今はなにより健康で無事に生まれること、産めることだけを考えて生活していきたい。
いろいろ来る不安はまたそのときに考える。

とりあえず残り1ヶ月ほど、多方面から言われる「産まれる前に旦那さんとの2人時間を満喫しておくんだよ!」を最終タスクとして、2人での最後のクリスマスと年末年始をゆっくりまったり過ごしていきたい。

来年のクリスマスにはプレゼントも考えないといけないんだろうし、ツリーも飾らないとなのかなー。

ツリー飾る(というかクリスマス以外にしまっておく)スペースなんて我が家にあるんだろうか。とりあえずそれも来年まで持ち越しかな。

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