観点観察「助けてもらえない」

事実
オンライン哲学番組をみていた。ファシリテーターだけが話して進めるのではなく、どんどんメンバーがコメントして作り上げていた

感情
「起」 切ない、泣きたい、落ち込む
「承」 虐げられる、さみしい、孤独、失望
「転」 あきらめ、惨め
「結」 イライラする、不愉快、嫉妬、うらやましい

思考
「起」こんなに助けてもらえる人っているんだ
「承」私はいつも、助けてもらえない
「転」どうせ私なんて、助けたいと思ってもらえないような惨めな存在だ
「結」あの人は、天性の助けてもらえる何かを持っているのだ、私はダメだ

気づいたこと
当然の事実として「私は助けてもらえない」と、思い込んでいた。
「私は助けてもらえない」に関して、無意識的に絶対正しいと思い込んでいる。
「助けてもらえない」が絶対的に正しいと思い込んでいる限り、「助けて」と言わないし、よっぽど親切な人じゃなければ困っているなんて思わない。だから、助けてもらえない。これを繰り返してきたんだ。
あらら、このままじゃ一生悲しい思いをしてしまう。
「困ったな、助けて」と言ってみよう。


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