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「普通」という考え方

昔の私は、とにかく、なぜか「普通」が嫌だった。大学を卒業し、27,28 歳くらいで結婚し、子供を産んでといういわゆる普通が。(今はその「普通」自体もかわっているかもしれない)

よく「普通って何?」と言われて「えーわかるでしょ!?」と思っていたし、「普通って言っても一人一人違う」という意見に対して、「そうなんだけどな」と思っていた。

絶えず刺激や新しいこと、広い世界を見たいと思っていた時だったし、落ち着いてしまうのが嫌だった。精神的な安定は一方で求めてはいたのだけれど。

でも、大学生の時、留学して外の世界を少しだけ見て、「普通といっても色々ある」という人の意見がわかるようになった。いろんな世界を見て変化したことの1つだった。

私は日本人で、日本社会は私にとっての日常。だから留学時代はとても刺激的で非日常だった。でも立場が変われば日本も非日常になりうるし、刺激は永遠に続くわけではない。海外生活も5、6年たてば私にとっても日常になるのだ。そういう当たり前のことにやっと気づくことが出来た。頭ではわかっていても、実感できていなかった。

だから、大切なことは日常をいかに刺激的に楽しく生きるかが大切なのだと思う。今ここにあること、もの、場所。

高杉晋作の「おもしろき こともなき世を(に) おもしろく すみなすものは 心なりけり」ではないけれど、まさにこれ、すべては心次第なのかと思う。(解釈はいろいろあるようですが)

「普通」が嫌だった自分の気持ちもよくわかる。でも、素敵な人に出会って、日常が輝きだしたり、外に楽しさを見つけるのではなく、今この時を頭を使って最高のものにする。こっちのほうが難しいけれど、やりがいはある気がする。逃げてはいけないということ。外を見て学んだことを日常に生かす大切さ!

でも、色々な経験をしてこういう気付きがあるように、やってみて初めて分かることもある。そして、日々真剣に生きていれば、気付きや喜びが思わぬところであると思う。真摯に己の人生に向き合うことが何より大切なのかも

日常なんてつまらなく感じてしまう人も多いかもしれない。まだまだ理想と程遠いかもしれない。すこしずつ形にしたけれど、はたとこれでいいのか迷うこともあるかもしれない。でも、その日常を最高にキラキラするための努力を最大限することが、一番の幸せへの近道なのかもしれない。

その結果に「普通」なんてないように思う。どれもオリジナルの最高のストーリー。

大切な人を大切に、明日からも頑張っていきましょう!

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