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海外寿司についての考察

ここで述べる「海外寿司」についてですが、

いわゆる日本人以外の方が作る寿司について、

それをどうのこうの…

というお話ではありません。

これは、日本を離れて

外国で作るようになった自分の寿司についての考察

です。

僕は寿司一本の

バチバチの「寿司屋」で働いたわけでありません。

寿司も置いているし、一品料理も、

創作料理も置いている、

ご家族で利用してもらえる日本食料理店で働いていました。

それでも「寿司」とはこうあるもんや、と

教えを乞うて、

京都で10年勤め上げた感じです。

そして巡り合わせてドイツに来たわけですが、

初めて現地の日本食レストランで食事をした時に、

僕は正直がっかりしてしまった。

日本食というだけで、

高級というレッテルが貼られていたので、

料金が他に比べて高いことは理解していたものの、

内容がそれに伴っていない。

なんでだろう?

シャリも美味しいし、ネタもいいのを使っていそうだ。

でも、盛り付けられた寿司、料理には

まるで華がなかった。

美しくなかった。

喜びが、消化不良を起こしていた。

その当時は、

ドイツで真剣に日本食をやろうという

真摯な料理人に出会うことが

ほとんどなかった。

いや、もっと正直にいうと

皆無だった。

中途半端に経験を積んだ、

職人気取りの人に出会うことの方が多かった。

僕は移住新参者として

辛苦を舐めさせられた。

勝手を知らないことで露骨にバカにされたし、

料理の彩りに飾りを施そうとすれば、

「余計なことするな」となじられた。

そこで火がついた。

ダメと言われても、

自分が正しいと思っていることで

折れるわけにはいかない。

正しいか正しくないかは

自分が決めて、

お客さんに評価を求める。

そしてここはもう日本じゃない。

古い日本のしきたりの中だけで

あぐらを描いてる場合じゃない。

そこで僕も日本での料理人としての

常識とか定説を

いったん棚にあげることにした。

僕は十代を油絵を描いて過ごしてきた。

西洋画の世界に魅了されて過ごした。

そこで培った

美術工芸の感覚を

どんどん料理に生かしてみようと思った。

味はやはり日本食としての本道を外れず、

プレゼンテーションとしての

盛り付けや、味の組み合わせに

僕なりの解釈と挑戦を繰り返した。

その結果として、

今の僕がいる。

それは、日本にいたら目覚めなかった

僕の感性だ。

今では、ここドイツでも

刺激的な料理を作る方も多くいる。

古式日本料理にあぐらをかいていては

このドイツの中でも

自然淘汰されるのだ。

ドイツにある古くからの高級日本料理店のいくつかは

店じまいしていった。

世代交代が起こったのだ。

最近では若い志ある料理人が

その腕を競い合っている。

クラシックとモダンを融合させたり、

現地の素材にこだわった欧州割烹など、

いろいろな工夫を凝らしている料理人は少なくない。

この火を灯しつづけていきたいですね。

僕もその一員として切磋琢磨していく。




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