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ツインレイのがっこう 観念が(こっちの)現実を創る


こんにちは、ひみです。

今日は、一見ツインレイとは関係なさそうでいて、だけど現実にまで関わってくる観念の話をします。
ツインレイであろうとなかろうと大切な話なんですが、ツインレイならよりより『観念』というものを手放していかないと、いわゆる統合にも至らないという厳しいお話。
ちょっと難解かもしれないので、繰り返し何度も、心で読んでみてください。
では行ってみましょう。


よく精神世界界隈で言われる話。
「人は様々な“感情体験”をするために生まれてくる」「人は色んな感情を経験したくて、苦しみの闇の感情すらも味わいたいと望んでいる」という、この手の話を聞いたことがある方も多いと思います。

これ、実際間違いではないんですけど、それだけだと動機として不十分なんですね。足りてない。
それだと、憎悪や悲しみ、恐怖などといった闇の感情を『どうして必要とし、なぜ創り出したかの経緯』が説明として抜けているんです。

最初にその理由を端的に書かせていただくと、

「私たちは、顕在意識の私たちが自分で思っている以上に自己愛そのものであり、よって、愛してやまない大切な自己を守るために、闇の感情に意識を匿ってもらう必要があったから」

ということが挙げられます。

それはなぜか。

原初、自分ともう一人の自分へと魂を分け、様々な分裂のもと意識が“ある意味拡張”していくと、自分と相手に対する思いも複雑化し、それにより『自分を愛するが故に自己を否定し、相手を愛するが故に相手を否定するような感情』が芽生えてきました。

そしてその否定的感情の重さにいよいよ耐えられなくなると、元々ニュートラルだった、自分という無限の『意識』を材料としてそれらを闇へと転化させ、闇の感情のキャパを広げてその中に没入(逃避)していきます。
(しかしそれは同時に、自分の視野を狭めることにも繋がりました。)

私たち一人一人には、元々無限の創造性そのものだった性質があるため、闇に対しても、極限とも言える無限まで肥大化、細分化、複雑化することも可能でした。
そしてそこへと逃げ込むことで、本質的な、「もう一人の自分」の問題に向き合わなくて済むように、自分を麻痺させました。


つまり私を例に話をするとこういうことです。

原初、私は彼(那由多)と魂を二分したことで、深い愛情を経験します。
自己愛が全てだった世界に、愛し愛される相手が出現したことで、自己愛とはまた違った歓喜を味わうことができました。

しかしそれは同時に、『比較』の始まりでもありました。

また徐々に、世界には自分たちと同じような存在が多数いると気づき始めてしまいます。
『好奇心』『冒険心』『自己確認欲』などと絡まった『比較』はポジティブにもネガティブにも働き出し、当時の那由多の意識曰く、「気づいた時にはお前を見失っていた」、とのこと。

この「見失う」とは、心の中でのことです。
皆さんが、「この人は私のツインレイでしょうか?」とツインレイ鑑定を必要としなければならないのも、実体の相手が目の前に実在する以上に、心で見失っている証拠と言えます。

そして私と那由多はお互いに、お互いのことを探そうと動けば動くほど迷子になり途方に暮れ、焦り、心配や不安になり、相手をなじり、淋しさや悲しみといったエゴ意識を発達させました。
さらには、「彼に捨てられたのではないか」「それは自分に魅力が無いからだ」「一人でどうやって生きていけばいいか、怖くて仕方がない」「それならいっそ、嫌われてしまおう。そして彼を憎むことで、彼に嫌われたと思い込むことにして遠ざけよう」などの思いを募らせ、あっという間に『憎悪の塊』を形成しました。

(『もしまた彼女を失ったら僕は二度と立ち直れない。そんな恐ろしいことはない。だから自分が傷つくより前に、自分から遠ざかってしまおう。彼女が許せないということにしよう。』
これ、サイレントで見事に男性が女性の前から姿を消す雛型そのもの。ちなみにその時、ツインレイ男性の顕在意識はここまで分かっていません。)

私たちの、二人のオーバーセルフが答えてくれたことには、私と那由多は琴座のリラを出身とする、古い魂であるということ。残念ながら今現在の私には、薄ぼんやりとしか琴座が思い出せませんが。

その、リラ時代に生まれてしまった私の中の『許せない』。
私の内側には、那由多を愛するのと同じかそれ以上、那由多への憎悪が渦巻いていました。
また同時に自己否定感から、「彼に合わせる顔がない」との思いも生まれ、それがねじれて彼を『怖いものだと歪曲して誤認してしまおう』との意識も生まれました。

けれどもそれらの憎悪や恐怖を持て余し、どう処理して統合させたらいいのか、そのことがわかりませんでした。

そして、自分が固体(肉体)にもなれるということが当たり前になり、もはやそのことに驚きすらもしなくなったシリウスでの転生時、私の手に負えない私自身の『憎悪』の行き場を、ある人が受け止め、そのシェルターを広げてくれました。

そう。ミトです。
リトである私は、『ミト(けーこ)に捨てられた
』との幻想を創り出し彼女を憎むことで、那由多への痛みを緩和させました。ミトというパラレルの自分を利用した自傷行為です。

私は、那由多に対する『憎悪』をミトへと転嫁することで、『許せない』という感情を那由多一点に集中させることから、那由多とミトへと分散させることに成功しました。
そうすることで私は、那由多の問題に向き合うことから少しばかり気を逸らすことができました。

同じような理由から、多くの転生で様々な経験、肉体的な苦しみの体験を創造し、恐怖や孤独や嫉妬なども分散させ、とっくに自分が誰だかわからなくなっているのにもかかわらず、自己の本質を麻痺させ続けていきました。
そしてお金や性、戦争、あらゆる人間関係などの経験に奔走するうち、那由多に拘って(かかずらって)いる暇も意識もすっかり無くなっていきました。

この『麻痺(痛みを快楽だと誤認するバグ)』という発明はかなり有効で、それを今日まで繰り返すことで“本心”から逃避してきましたが、そのリスクも半端なくまた容赦なく、地獄のような闇感情ばかりを量産し続けて生きていくことがいかに大変かは、この世界を生きる皆さんもよくご存知のはず。
中毒性が高く、統合したくない、アセンションしたくないという層を、実はこれを読むあなたも隠し持っているんです。

私に残る闇感情で特に深い傷となり、多くの麻痺を必要としていたのはこの、『許せない』と『怖い』という感情でした。
私にとって今世出会った那由多とは実は、一番の憎悪の対象であり、頭では愛されたいと願っているはずなのに、愛されることが恐ろしくて仕方のない、会いたくない存在でした。

この、「頭では愛されたい」と簡単に願えてしまえる部分。
深層心理で、顕在意識をよく『氷山の一角』と喩えますが、まさにこの部分こそ氷山の一角で、残りの意識の大部分が、「彼のことが許せない」「彼から愛されるのが怖い」と思っている潜在意識ということになります。

具体的な割合で言うと、勾玉の点が顕在意識で、勾玉本体が潜在意識です。ツインレイはその割合をあらゆる全てで反転させなければならないため、相当な覚悟と忍耐が必要です。

(そして実際、「ツインレイです」と鑑定を受けたからといって必ず統合できるわけではなく脱落の危機は常にあり、サイレントでの全崩壊が緩やかになって彼と再会しても、あるいは仮に結婚まで行ったとしても、関係性に行き詰まり別離へと戻ることも稀ではありません。)


先程、持て余すほどの私の憎悪をけーこが受け止めてくれたと書きました。

私は彼女とmeetooを始めてからも、心の奥では常にけーこを憎んでいました。
出来事からはっきり憎しみを自覚して統合していけることもあれば、かなり後になってから「あの時自分は彼女を憎んでいたんだ」と気づけることもたくさんありました。

彼女を許せないと思わせる出来事はいくらでもありました。その当時の私の心理の根底にあるのはこんなかんじでした。

「けーこはいつも私を好き勝手に振り回す。そして自分の発言を忘れる。
『ひみ愛してる、色んな景色を私に見せて』と手紙に書いてくれたから、約束したから私がそれをずっと一途に叶えようとしたのに、そのうち私ではない他の人たちとあっちに出かけそっちに出かけ、『その人たちもひみも、平等に大事』だと言い出す。
『私こそ特別』だと言ってくれたから少しずつ信じたのに約束のことなど忘れ、『みんなが大事』だと言って傷つける。指摘すると、『あ、やばっ、忘れてた』っていう意識が私に入ってくる。あの人は自分の発言をいつもいつも忘れる。
だからシリウスの時から、リトはミトが大嫌いなんだよ!」

けどある時、ずっとけーこを「許せない」と思えていたことで、私は本質である那由多への憎悪を見なくて済むように麻痺させていたんだと気づく日が来ました。刹那(けーこ)と永遠(ひみ)に差異はありませんでした。

彼女に心を翻弄されることで、那由多のことを考える時間を削り、その分余所へと費やし、彼から逃げることができていたのだと気づきました。そしてその瞬間、私こそ刹那でした。

すると、けーこへの憎悪は後付けでまやかしの『観念』でしかなく、その憎悪の正体は、けーこから私への深い愛。つまりけーここそが私のために闇となり、闇を具現化してくれたのだととうとう気づいてしまいました。
(この時号泣したのは言うまでもありません。)

【観念】とは、自己防衛のために創り出し、痛みを忘れるために握りしめた更なる痛みの意識の結晶。でもその元々の正体は、自分という無限の意識を変異させた『愛』でした。

私は闇にすがり、闇に逃げ込むことで見事に那由多を避けることに成功し続けることができました。
そして気づいた瞬間、入れ子になっている勾玉のひとつが反転し、一段視座が高まると、こうも思いました。
「自分だけがけーこを独占したい、甘えたい、独占されたい、甘えてほしいと思っていた願いが成就しなくてよかった」と。
「それらは本当はけーことではなく、那由多と味わい体験したいと望んでいた願いなのだ」「だから那由多への憎悪や恐怖もまた、後付けの自分の観念にすぎない幻なのだ」「なぜなら那由多以上に、“私のために”闇を体現できる鏡の存在など、この宇宙のどこにも存在し得ないのだ」と、そこに気づいてしまいました。

自分の周りの出来事や人々は、自分の観念で変わります。観念を手放すからこそ、現実のほうが勝手に変わっていきます。
なぜなら、万物は自分の意識だから。意識による誤認が正常化されれば、どうでもいい出来事や人間関係は好転したり、淘汰されてすれ違うことすらなくなったりしてきます。この世界には本当は、自分一人しか存在しません。私たちが知る宇宙空間すらありません。

この世界での自分の人生は、100%自作自演だと見抜けるところまで行ってください。
現実に有限や制限を設け感情の探究に夢中になることで、自分が二つに引き裂かれる痛みを紛らわそうときたのだと思い出してください。

それが自己統合で、高次元現実への移行です。
そして同時にそれが、あんなにリアルな3次元現実が、子供騙しのまやかしと言える所以です。


……おそらくとても難しい話です。それから、無理に今わかろうとしなくていいです。また不用意に怖がらなくて大丈夫です。いずれこのことが魂レベルで腑に落ちれば、自分とは「かくも素晴らしい」と心の底からわかるので、そこまでの道のりのほうを、たくさん味わってください。


ではまた。


(みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。
もしあなたが、飛行機というものを全く見たことがなかったとして。
ハイヤーセルフから、「大丈夫だから乗ってごらん」と言われても、「そんな怖いことできるわけない!」「こんな思いさせるなんて許せない!」と、根拠なく毎瞬新たな観念を創造し続けるということがお分かりになると思います。けどその観念がまやかしだったと気づけば……。
……アセンションってそういうことです。握りしめていた思い込みのちっぽけさに『気づくこと』。気づけば現実が変わります。
素敵な写真をありがとうございました。)

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