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20240123 雑記

 いつまで生きれば良いのか、なんて尖ったまま生き残ってしまった。精神的に未熟と言われればそうなのだが、結局普段通り、いつも通りの日々は続いているようにだけ見えている。
 ただし、それが誤りであると叱責されるように災害は起きてしまうし、心配や恐れは生まれる。テレビをつければ延々と地震、Xを見ればクソのようなインプレ稼ぎと共に当事者でないようで渦中にいるような錯覚を覚える。

まるで劇の一つのように
全ての媒体から受ける現実は
頭で考えたものだ

 頭で考え過ぎる。だから私たちは閉ざされている。目で見る、は現場で実感を持って体験された時に正しい。文字と画像や動画の組み合わせは目で見ても正しくはない。
 お寿司屋さんの怒りも、顔写真の修正も、人間は経時的変化の合算であって、デジタル化される全てにはこころが見えないのだ。
 こころはホワイトノイズのように、しぶきのように、デジタルに補正され、桁落ちした僅かなものばかり。構造から抜け落ちる。あるいは映画監督の憤怒。
 課題ややらないといけないことも、目の前だけを見て、その先のアビスに気付けない。
 正しいような行動に見えて大局的には間違っていたり、そもそも国自体の力が足りていない、衰退国家の問題に否応なしに直面させられる。
 こんな風に主題はいつの間にか移り変わり、すり替えられ、余計なPRや気持ち先行で余計な行動に出る。目に余る行為の数々。
 と、同時に、それも役に立てざるを得ない。
 天災で色々がご破産になる。この国はいつだってそうだ。長らく政権を握り続ける政党に関心のない我々、裏金問題だってすぐに風化して関係のないものへ変わる。
 または、数千万円の記載ミスが平易な「すいません」で許されるなら、私たちも、納税ミスをしても平易な「すいません」で許されていいはずだ。
 この形をぶち壊す為のデジタル化、この世界をぶち壊す為の、技術的特異点。
 全て加速させ風化させ、我々を木々のような、植物に変えてしまおう。
 火星に行けるんなら、なんだってやるさ。

 そもそもの話、この資本主義社会に於いて競争や自由を突き詰めていけば経済発展するし、皆が豊かになっていく。というある意味素直で、ポジティブな捉え方は間違っていた。
 お金さえ払っていればいい、自分本位で生きてこれた、助け合わない、そんな形で他者と壁を立てて行けば、そこに一つの惑星が現れる。
 ビジネスが、群を分解していく様、超食虫植物ネクトペントスが地方を解体し、ムラを解体し、夜這いは消えて、精液を飛ばす遊びは消え、カフェにモガに、女衒に落ち込むあの大地、金と恥晒しと、豊かでないばかりの資本を持つ分解された最小単位の人、恒河沙ほどの洗われるかたち。
 食中植物の消化液の中で溶かされる前に投げ捨てた。全て草木になり、ピンク色の粘液が地面を再定義している。地走り、割れて隠れた。
 ……完全に全てデジタル化される未来には体が必要なくなる。それと共に「心」もなくなってしまう。やって来るのは脳髄の世紀、第二の脳によって摩耗し続ける現実の肉体、デジタルの中で「心のような何か」が観測できるのであるから、それは最早「心」である。
 そういったふうに合理的に解釈されるものかもしれないが。

 詩や小説や音楽や絵のような創作物はせいぜいが「豊かさ」の「余剰」にくっついて生まれるものなのだから、豊かさを失わないようにするにはどうすべきかを考え、行動する他ない。
 それが荒廃を変えることはなくても、かつての豊かさと、その憧憬だけは持ちうる。
 まだ本は送らないで、現実の耐えられない重さが、その豊かさを享受するにいたらないから。
 しかし、わたしの荒廃が、現実に擦り切れた幻のこころが、それらを全て取り上げて行っちまった。自分が面白いんだからそれでいいだろ、世界はクソッタレなゴミ清掃みたいなモノで、お気に入りを選び出して、そのまま腐っちまうんだ。
 創作でなく、再構築された自我、感情の上っ面だけを並べて、泥臭いだけのアウトプットに囲まれてしまった。
 途中で行き詰まってしまったものも多く、また、一辺倒な文字、支えのないことばのたぐい。

 生身で殴りかかってやりたい。
 生身で叫び、怒鳴り、鼓膜を破裂させてやりたい。
 地球への碇、押し付けられ、手繰るしかない言語に辟易としながら、今日も唇の先から発せられる。
 圧倒的な部類。震わせろ人類。

その熱に値段をつけるとして
 やはりそうはしたくはないと
  もう既につけた人が嘆いた

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