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母の一周忌をむかえて

 母を亡くし、今月はその一周忌をむかえた。
 


 父が2015年の12月下旬に亡くなったとき、「ひとは一度しか死ねない。死は神からの授かりもの」というシェイクスピアのセリフが絶えず頭をよぎっていたのだが、母の時には、特段の感慨もなく、母の半年あまりの入院生活の側面からの援助という、家族としての義務行為がスパっと終わった、という実感が静かに湧いた程度だった。
 父が死んだときに、私は葬儀屋を手配し、喪主を務めて...といった、だれもが当たり前におこなう当たり前のことを実直にこなす機会を得て、なによりも、自分が一人前になり始めたという実感を手に入れたことが、最大の、そして一番の経験だった。
 

 なんだか、文の調子が固いなぁw
 

 去年の母のときにも、母の入院や転院の援助、母が死ぬ前におこなった葬儀屋の手配と死の直後に葬儀屋をよびよせて、母の希望だった直葬の喪主をつとめ、その後は死後の手続きをいろいろとこなしていって、口座をとめられてしまうようなドジも踏み(ちょっと文の調子が軟化してきたぞ)、凍結解除のための書類集めなどもやったのだが、思い返すとこれもやっぱり、貴重な経験でもなんでもない、一人前になる経験のひとつを得たことにすぎなかった。それがいちばんありがたかった。家族が死んで、ありがたいもないもないのだろうが、私が得たのは、そんなような解決だった。


 この投稿に目がとまったすべての方々に知っておいていただきたいことは、葬儀屋は、ご家族がお元気でいらっしゃるうちに決めておいたほうがいいという事です。亡くなった直後には気持ちが動転してしまって、普段ならできる冷静な判断もできなくなってしまって、病院に出入りしている強欲な葬儀屋の言いなりになってしまう危険もある。父が亡くなった病院は、ある有名なブラック葬儀屋の縄張りでした。
 パンフレットだけ確保していた或る葬儀屋と連絡がつき、葬式をうけつけてくれる事が決まらなければ、ちと面倒なことになっていたかもしれない。その「病院に出入りしている葬儀屋」には、父の遺体を霊安室まで運んでもらって、そのあとは私が呼んだ葬儀屋にバトンタッチという形で済んだんだけど、その出入りの葬儀屋の部長から名刺をもらったその瞬間、あぶなく引き攣った声を出してしまうところだった。
 あまりにも有名なその葬儀屋に、葬式を頼む羽目になってしまったら、葬儀代は百万じゃ終わらなかったよ絶対に.....。
 母の時には、入院の翌日に、自宅そばの葬儀屋に行きました。母の意向である直葬をやりたいということを伝えておくことで準備段階にし、いよいよ覚悟を決めなければならなくなった時期に至って葬儀屋にふたたび行き、直葬にあたって何が必要になるのかをチェックしておきました。直葬の日は、母が亡くなった2時間後にはもう決まりました。母が入院していた病院にどんな葬儀屋が出入りしていたのかは、わかんなかった。
 

大事なことなんで、もう一度書きます。できるなら音声で表示したいくらいです、エコーかけて。
 

 葬儀屋は、
 ご家族がお元気でいらっしゃるうちに決めておいたほうがいいです。

 
 

 この一文で、この投稿をお読みくださいました元が取れたかと思います。
 

 この投稿の頭にあげたシェイクスピアのセリフは『ヘンリー四世 第二部』の第三幕 第二場に出てくるフィーブルのセリフで、原文はこうです。
"a man can die but once, we owe God a death."

 そろそろ、投稿の締めに入りたいと思います。
 私はもう、社会的な栄達なんかとっくの昔に諦めた、ほんとうにパッとしない奴で、じゃあ人として勝負だ...と行こうにも、恋愛も実らねぇわ、そもそも何年も恋をしてないわで、そんなこんなを総合すると、人様の目からご覧になって「凄いこと」は何もなくて、「凄くない自分を積み重ねているだけ」の人生をずっとずっと過ごしてきて、それを今年も変わらず続けて、2021年の年末まで過ごしてしまったわけなんですわ。
 今年は(今年も)良いことは大量にあったけどね。

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マル。

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