♗鏡谷(メフィ)𝔎𝔞𝔤𝔞𝔪𝔦𝔱𝔞𝔫𝔦 🐝

文体饗宴を呈した小説・劇詩を見世物興行のように投稿いたします。文体饗宴とは「異形の外連…

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文体饗宴を呈した小説・劇詩を見世物興行のように投稿いたします。文体饗宴とは「異形の外連味」であり、虚言(ハッタリ)から迫真性、あるいは迫真力みたいなものを築きあげる宴。うたげには、終わりは無い。

最近の記事

昭和精吾事務所「氾濫原4」 ③:『夢十夜』 『草迷宮』

『夢十夜』 地球が夜行性の生き物であるという証しに、夢は人生で、大きな役割を果たすのだと信じさせてくれる。 私はこれまで、そんな夢を少ししか見たことがないんだが、漱石も、昭和精吾事務所も、そんな夢を数多く見てきたんだろうと思わせた。もちろん、今回の朗読者だった白永歩美さんも、こもだまりさんも。 憂鬱に草生する漱石の文体を分け入っていく快感が、からだじゅうの毛穴からじっと染みわたった。まるで、夜を照らして輝く門を、次々に超えていって未曽有の「中心」に到達する夢をみたように。

    • 昭和精吾事務所「氾濫原4」 ②:『星の王子さま』

      飛行士の 舞台上に、王子さまは登場しない。 飛行士の目の前で、こもだまりさんが最前まで演じていた『黒蜥蜴』の女賊、乗っていた船で死んだのではなく、記憶をなくし、漂着したアフリカで、王子さまの言葉を読み続けている。その温かさの無上さときたら。 舞台の頭上には、エジプトの星にも似た星あかりがうっすらと照り、こもださんの足もとに拡がった、沙漠の底の井戸の水が、光を受けとめる。  黒蜥蜴も明智小五郎も、地球が夜行性の生き物だという事を知っていたように、飛行士もまた、夜の星を頼りに

      • 昭和精吾事務所「氾濫原4」 ①:黒蜥蜴、そして『星の王子さま』序章

        「さて、ひとつ賭けをしませんか」  大胆な賭けに満ち満ちた言葉の、つばぜり合いがうっとりするような火花を終始にわたって照らし合う。長田大史さんと、こもだまりさんの言葉対ことばの、磨き抜かれた分厚さが、時にはシルエットになって「剝製立ち」を晒す。  最も美しく、不敵な火花がエジプトの一番星になり、名探偵と女賊の愛憎が歩き回り、走り回る、エジプト万華鏡の影絵を奔流させる。 音楽を奏でる、永井幽蘭さんの頭上には、ロココ様式風の鬘の髪しぶきを疾走する、黒い帆船が。  帆船のなかには部

        • エクス・ノーヴォ公演、 アレッサンドロ・スカルラッティのオラトリオ『カインまたは最初の殺人』日本初演

           超大型台風がもたらした大雨が鉄道機能を一網打尽にした最中に、エクス・ノーヴォ公演によるアレッサンドロ・スカルラッティのオラトリオ、『カインまたは最初の殺人』日本初演が浦安音楽ホールで開催された。こんな状況で聴けて、いささか倒錯的な快感を味わった。    エクス・ノーヴォの公演は、今年の11月に私の好きな『洗礼者ヨハネ』(作曲があのストラデッラ!)のオラトリオを上演するので楽しみにしている。    『カイン』の演奏は、聴いている時には不満でした。だけど終演後の帰り道に公演を

        昭和精吾事務所「氾濫原4」 ③:『夢十夜』 『草迷宮』

          「いつかまた生まれた時のために」

           演劇集団つむぐ『いつかまた生まれた時のために』 2022年10月29日、30日 江古田 兎亭 https://ameblo.jp/usagitei11/entry-12771487187.html  舞台に立っている役たちは皆、塵一つない清潔そのものの家族や家庭など、生涯に一度も望んだことがないにもかかわらず、皆が皆、不潔を嫌悪し、不潔さの発信源は自分なのだと疑っている。  肺に押し寄せる空気は、痛々しいような清潔にあふれ、三人の姉妹たちを、彼女たちの母親を、胸の奥で締

          ヒュドラのチェンバロ【9】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

           稀代の演劇狂にして音楽狂、その生涯の大半をロシアの外で過ごし、フランスやイタリア、中東、インドといった賑々しい街並みと甍屋根と伽藍のあまねく優美を隈なく旅したニコライ・ボリシェヴィッチ・ユスポフ公爵は50歳の時、地下ふかくエジプトの天球とドイツの樹林の根っこを繰り広げた冥窟の神殿(※)の奥底で、"ご神体の刻印"を埋め込む複雑な手術を受けたのだ。大宮殿をかまえる都市要塞劇場の領地を手に入れたときに、第五元素のエレメンタルな全一性を奏でるために。  ロシアに帰還し、帝国の顕職を

          ヒュドラのチェンバロ【9】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ヒュドラのチェンバロ【5】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

             ヒュドラの目を無数に嵌めこんだ、華麗なる大旋回視界の輪の中心で、首だけになったパーヴェルは、土星の浮遊に似通らせると、癇のつよさや、人間感情の煩わしさの総てから解放されていた。  パーヴェルは首から下を、皇帝の衣服を剥ぎ取られウロボロスの蛇の影を纏ったバレエで象った。足元を、どこまでも、エーテルが煙るガラス板でひろげた。  姿が蛇神の調和になって、ガラスに映された。パーヴェルが崇めていたヒュドラはいまやパーヴェル自身であった。  ヒュドラのチェンバロをの広げた蓋を額縁

          ヒュドラのチェンバロ【5】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ヒュドラのチェンバロ【4】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

           わたくしはアナトリー・ミハイロヴィチ・シェレメーチェフ=ユスポフ。  チェンバロ奏者であり「ヒュドラのチェンバロ」の所有者であり愛器の名を冠したこの物語の語り部であります。念のため申しますがストラディバリウスは所有しておりません。わたくしは人形が纏うサイズの服しか着られない背丈なのでヴァイオリンなどという楽器は弾けないのです。  雪に覆われた叛 乱の庭園に足を踏みしめたヒュドラのチェンバロの音色が身震いせずにおられないほどの残忍と怒りとを移調3段鍵盤で奔流させた。  3

          ヒュドラのチェンバロ【4】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ヒュドラのチェンバロ【3】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

             ユスポフ家の繁栄を祈願する家訓「右顧左眄することなく、一筋の道を歩め」に、アナトリーは応える。  おっしゃるとおりでございます、わたくしは無尽蔵の電気消費に耽るような楽器を、生涯にわたって拒絶し、原子力発電の全知全能を嘯く、巨大機械への妄信を振り払うことを誓います。  アナトリー・ユスポフ、二重姓の「シェレメーチェフ=ユスポフ」が正式な苗字なのだが、アナトリーはシェレメーチェフ伯爵家よりも、ユスポフ公爵家の歴史と家系に、自身の心の故郷を見定めている。  アナトリー

          ヒュドラのチェンバロ【3】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ヒュドラのチェンバロ【2】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ”グリゴリー、そなたはうるわしい”        近衛師団きっての引き立て役者、夜伽の寵臣グリゴリー・オルロフ伯爵は宮廷クー・デ・タを指揮し、エカテリーナ2世を、ロマノフ王朝の双頭の鷲の玉座へと導いた。   "エカテリーナ、騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます"  豊かな巻き毛に、騎兵帽子と軍服を纏ったエカテリーナ。その顔立ちは、誰もがこれほどまでに神々しく、また同時に、これほど人間味のふかさに満

          ヒュドラのチェンバロ【2】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          ヒュドラのチェンバロ【1】クトゥルフ・バロック、あるいは、18世紀が幻想的出発点なのでクトゥルフ・ロココ・ゴシック

           題にあるとおり、この怪奇譚は18世紀末の、ロシア帝国から始まる。ロシア以外、そして絶対君主制いがいの、どこからもこの物語は始まってはいけない。  わたくしはこのことを、明記しておかねばらならない。 「アポロンのカリギュラ」「ナルシスのネロ」パーヴェル1世が竜巻の中心に玉座を鎮座させたガッチナ宮殿の、楽器工房で、カオスの極まりを呈し、宮廷演奏家たちの繊細優美なこころをかたっぱしから悶絶させるチェンバロが造られたのである。   楽器職人は、ふたりの男であった。チェンバロの産婆

          ヒュドラのチェンバロ【1】クトゥルフ・バロック、あるいは、18世紀が幻想的出発点なのでクトゥルフ・ロココ・ゴシック

          「オスカー・ワイルド、悪への愛」 Ripple36号(2001年6月1日発行)に掲載

          「オスカー・ワイルド、悪への愛」 Ripple36号(2001年6月1日発行)に掲載

          昭和精吾事務所「氾濫原3」

           言葉というやつが、なりたいものになろうとする願望は人間のそれとはおおよそ比較にならない。  なにかになりたいという願望や欲望なしに、言葉は言葉でありえない。  言葉はいついかなる時にも何かになりたがっているし、  人間の思考力とは別次元で、何かになる自分(自分たち)を考えていて、何かになっている。      昭和精吾事務所「氾濫原3」のテーマは、<命懸けの恋>。  なりたいものになろうとする欲望の喚起が充満する言葉なしにはありえない恋愛、テンション上がるじゃないか。  

          母の一周忌をむかえて

           母を亡くし、今月はその一周忌をむかえた。    父が2015年の12月下旬に亡くなったとき、「ひとは一度しか死ねない。死は神からの授かりもの」というシェイクスピアのセリフが絶えず頭をよぎっていたのだが、母の時には、特段の感慨もなく、母の半年あまりの入院生活の側面からの援助という、家族としての義務行為がスパっと終わった、という実感が静かに湧いた程度だった。  父が死んだときに、私は葬儀屋を手配し、喪主を務めて...といった、だれもが当たり前におこなう当たり前のことを実直にこ

          明後日はコロナワクチンを注射(小説)後篇

             帰宅するとマンションの扉から、スロッピング・グリッスルの骨太な雄大ノイズがつたわってくる。  あれっ、姉貴は副反応の熱が下がったのかな。  きょうは...姉貴のヘルパーさんが来ない日だったか。      ノイズが生みだす妄念の鉄筆で、大胆で壮大な賭けのようにえがかれた宇宙、劇場、緞帳の波うち、天使、世界の涯、一角獣の金角、氷結の螺旋階段。黒い炎を揺らす蝋燭の連なり、黒象牙いろの霧、天使、羊飼いの相姦。星屑、天空、漆黒の森林、憑かれた蠟細工の花でおおわれた恐怖、畏敬、

          明後日はコロナワクチンを注射(小説)後篇

          明後日はコロナワクチンを注射(小説)中篇

           その翌日、雅江は仕事中の弟にLineを打った。  弟は、雅江の緊迫を伝える「すぐ帰ってきて」に引かれて、帰宅した。  雅江は、隅っこに淀んでいた。  大事にしている歩行杖を床にうちすて、青白い肉付きの、削げ落ちるところは落ちて能面的に凝固した死人の顔。  刻んだ彫りが極まった肉付きには変形しきった香のかおりの強い染着があった。  口のなかは、枯れ枝いろの砂に浸食されていた。  雅江は、恍惚として床に身を投げ出さんばかりだった。    弟はまず、雅江から話を聞き出した。砂

          明後日はコロナワクチンを注射(小説)中篇