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昭和精吾事務所「氾濫原4」 ③:『夢十夜』 『草迷宮』

『夢十夜』 地球が夜行性の生き物であるという証しに、夢は人生で、大きな役割を果たすのだと信じさせてくれる。
私はこれまで、そんな夢を少ししか見たことがないんだが、漱石も、昭和精吾事務所も、そんな夢を数多く見てきたんだろうと思わせた。もちろん、今回の朗読者だった白永歩美さんも、こもだまりさんも。
憂鬱に草生する漱石の文体を分け入っていく快感が、からだじゅうの毛穴からじっと染みわたった。まるで、夜を照らして輝く門を、次々に超えていって未曽有の「中心」に到達する夢をみたように。



『草迷宮』
「見ていたのです、同じ夢を」
和装本の古い匂いを纏った極彩色の言葉、草双紙と絵草紙の綯い交ぜが山道をえがいて毬突き歌をえがいて描いて跳ねまわる言葉へと分け入った印象が、公演から数か月を経て今も、輪を描いて誘惑を滴らせている。



びいどろの球面地獄の表面を、燃え盛る台詞の奔流で隅々まで磨き込み、
西邑さんの音楽が、ステージの輪郭をくっきりと浮かびあげる鮮やかさで、立体感のさらにその彼方を響かせたし、
ラストの対話場面も、生きることを下僕に押し付けるように、地上の俗をすべて超えて二人だけの地平線をえがいてくれた。
しかしながら『草迷宮』は、常盤美妃さん….とっきーに、やられた。

燐寸一本、火がぼうぼう。私の売る火は危険です。火事になる火種は要りませんか」帝大生の、家代々の蔵書の絵草紙から抜け出したような火売りの少女が登場し、空気がカラっと変わった。とっきーのために書かれたように錯覚せずにいられないようなセリフが、飛ぶ、跳ねる。



『草迷宮』が旋回する….


燧石の柱で四点を支えたステージの緊張があらわになる音楽。
火を放ったらすぐにも大火事になりそうな緊張感を連れてくる言葉たち。
私はとっきー原理主義者ぢゃないけれど、今回ばかりは、そうならざるを得なかった!






イッキさんの『アメリカ』が聴けなかったのは、やはり.....残念。

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