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なんてない日常こそが

最近、何かを求めて動き回る自分が遠くに行ってしまった。
花とあるシンプルな暮らしを好み、お気に入りを身に付けて、おいしいものに喜び、淡々と何気ない日常を過ごしている。
そういえばこんな日々って何年ぶりだろう、とつい思ってしまう。

何かを強烈に願うことがなくなり、ほのかに「これで良いのだろうか?」と感じていることも確か。
ただ、自分の気持ちは穏やかで、四季を楽しんだり、すごくどうでも良いことでけらけら笑っているのでそれで良いのだと思う。
光を求めるような強い感情は自分に行動を促してくれるけど、気付かないうちに焦燥させてしまったり自分を嫌いになってしまうこともあるからね。なかなか扱いが難しい感情なんだよね。

そういう感情から学ぶこと、生み出すものはこれまでたくさんあったけれど、今はただゆったりとなんてことない日常を味わいたい。

それこそが、私がずっと求めていたことのように思えるから。
そしてそんな風に満たされても何故か追い求めてしまうことが、人生を通して極めていくものであり、自分だけの使命のようなものなのだと思う。
それは何だろうか。きっと出逢えると思うし、もう出逢っていて隣にいるのかもしれない。

今のところ、これから先そういうことが起こりそうな傾向はないが、もしも人生で自殺というものに同意することがあったとして、多分それはこの時期だろうと思う。
だから私には自殺のシステムがわかるようになった。他人を殺せないから自分をなくしてしまうのであり、自分を好きになれないからなにをしてもどんどん自殺という名前の沼に溺れていくのだ。
だからこそ、その状態になった人に言いたい。くだらなく重く思える日常を大切にしてほしい。自分のすることの中で、そうではないものにいかにひきつけられても、自分に自信を持たせられるものだけに同意してほしい。

ばななさんもこんなことを言っている。

無意識にでも自分に蓋をして生きていると、少しずつ自分が分からなくなって抜け出せなくなってしまうのだと思う。それはとても苦しいこと。

だからこそ、自分を大事にできる自由な日常を生きていきたいよね。

#吉本ばなな

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