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榊正宗が考えるお金の価値について

突然ですが、お金は好きですか?

もちろん、お金好きですよね!嫌いな人はあまり居ないと思います。でも、なぜ好きなんでしょうか。お金があれば好きなものが買えますよね!でも、それってお金が好きと言えるのでしょうか?物質としてのお金そのものが好きな人はコレクターでもない限り少ないと思います。一万円札の原価は22円~24円と言われています。一万円札の価値は、30円以下なのです。これって、よく考えると不思議ですよね。PayPay等の電子マネーに至っては、原価は限りなくゼロに近いのでは無いでしょうか。

原価がほぼ無いものに何故価値があるのでしょうか?少なくともお金の価値と原価は、関係ないようです。

お金の価値についての結論

結論を先に述べますが、実は、お金の価値については、経済学的にも厳密にはよく分かってないそうです。

これについて、いろいろなソースを出して、このようにお金の価値は実は分かってないという話を延々としても良いのですが、時間の無駄になりそうなので割愛します。(興味のある人はぜひ調べてみて下さい)

もし、さも分かったように、お金とはこういうものだ!と断定的に言ってる人を見かけたら、それは、何か裏があると思ったほうが良いでしょう。(例:お金とは信用のことである等)

しかし、お金というものが、そもそも信用にならない不完全なシステムだとしたらどうでしょうか。

お金というのは信用の事だとか、労働価値だとか、交換価値だとか、保存価値だとか、いろいろなものに使える便利なツールだとか、いろいろ言われてますよね。しかし、万能ツールではなく、所詮人間が過去に考えたその時点でのそこそこ便利な道具に過ぎないとしたらどうでしょうか。

そう考えると、お金というものは今でも価値の基準が変わり続けており、その使い方はアップデートされて、日々、軌道修正されてるというのが分かってきます。

お金とは価値と思想がミックスされたものだと言われる事もあります。人間は究極の思想というものを生み出してはいません。異なる思想は対立し、戦争の原因になったりします。じゃあ、科学はどうでしょう。残念ながら、科学だって間違います。「科学的に正しい・間違っている」という言葉を多用する人をわたしは信じられません。

科学というのは正しいものではなく、必死に正しさの近似値を求めて探求することであり、世の中に完全に正しいと言えることは無いのです。

何だかずるい結論ですが、お金は間違いなくなんらかの価値をもっていますが、その価値が何であるかは定義出来ないのです。

お金の価値とガチャについて

以前、ソシャゲのガチャについて記事を書いたところ、ガチャと原価の関係について疑問視する声が少なからずありました。

ガチャの原価について再度説明しながら、お金の価値と比較してみたいと思います。

なんで、ガチャ?と思われるかもしれませんが、ガチャはゲーム内で、お金のような価値をもっています。お金の価値を論じるときに、お金と違って、現実の商品とは交換できないガチャは、良い比較対象だと思います。

ガチャは、ほとんどの場合イラストが出てきます。実は、イラストじゃないガチャは微妙に自主規制されていたりします。(詳細な理由は機会があれば解説しますが、今回はそういうものだと思ってください)当然イラスト作成には労働原価がかかっていますが、イラストはデジタルデータですから、その原価はガチャの売上に対して極めて小さなものです。たしかに、人気のソシャゲはクオリティの高いイラストが使われています。しかし、イラストだけがほしくてガチャを回すユーザーはまず居ません。(キャラが好きと言う人も居るでしょうが同じキャラでも衣装が違うハズレがあったりしますので、イラストと同義とします)ガチャから出るレアカードイラストだけがほしいなら、誰かにキャプチャーしてもらってコピーしたものを貰うという行為が横行しそうですが、そういった話はまず聞いたことがありません。ゲームサービス終了時に、レアカードをローカルに保存するという人もあまり居ないでしょう。ガチャで出るイラストにはゲームの中において、ゲーム進行を有利にするという機能が付加されており、能力によってレア度が設定されています。ある意味、イラストはオマケなのです。同様にコピーした一万円札(偽札)を使わずにこっそりコレクションしているという話も聞きませんよね。まあ、プリントミスしたレアなお金をコレクションしたり、記念硬貨をコレクションしたり、古いお金や海外のお金をコレクションする人は居るでしょうが、お金そのものを印刷された絵が好きだという理由でコレクションする人はまず居ないでしょう。(調べたわけではないので、居るかも知れませんけど、少なくともわたしは聞いたことがありません)ガチャのイラストと、お札に印刷された絵は似たようなものなのです。

たしかに、指摘があったとおり、ガチャの価値を原価で説明するのは、お金の原価と同様に難しいと言えるでしょう。

わたしは小説の中で、仮想的に、ガチャ禁止法案というものが制定されたフィクションを描きました。ガチャについては、絶対に悪だと決めつけていません(全話無料で公開してますので小説を読んでみて下さい)

しかし、世界的な流れを見ると、ガチャについて好ましくないと思う国が多く、近い将来禁止に近い措置がとられるとわたしは予想しています。

その時、ゲーム業界は、ガチャの無いゲームで利益をあげないといけません。というか、そもそもゲームなんてものは、人が生きるために絶対に必要なものではありませんから、ひとつ間違うとこの世からなくなってしまうかもしれません。なくならないにしても、他の娯楽にその地位を奪われるかもしれません。

天下一家の会事件について

お金やガチャの原価と価値について、過去の事件について知ると理解が深まると思います。

みなさんは、この事件をご存知でしょうか。日本で最初にして最大のネズミ講事件です。いまでこそ、ネズミ講が破綻する前提の仕組みだというのは多くの人が知る事実ですが、当時は多くの人が「信用」してこの仕組みに参加しました。しかし、当然ですが、この仕組みは理論レベルでは絶対に破綻する計算の元にお金を集めているので、途中で詐欺事件に変わり、主催者は逮捕されました。原価どころか商品すら存在しないネズミ講は、世の中を良くすることはありませんでした。お金だけが動く仕組みには危険性があるのです。

事件の7年後に無限連鎖講の防止に関する法律が制定され明確に法律で禁止されました。逆に言えば、それまでは、ネズミ講は違法ではなかったのです。お金の運用が日々アップデートされてきたことが分かると思います。

この例を出して、ガチャとネズミ講は同じものだと断定したりはしませんが、お金というのは、完全なシステムではないので、こういった間違った運用が起きることがあるというのは知っておいて欲しいのです。

ガチャというのは、お金の運用として、依存症を引き起こす前提の上に成立している可能性が高いため、問題があるのでは?と問題提起をしているのです。(詳しくは上記ブログを参照してください)

価値と依存症について

人間が何に対して価値を見出すかというのは、とても曖昧な概念であり、そこには、報酬系と呼ばれる脳内ホルモンの分泌が関係しています。お金に対する価値も報酬系のホルモンが関係しており、「お金が欲しい!」と思うのは、多くの場合ホルモンの働きによるもので、必ずしも理性的にお金を捉えてるわけではないそうです。そして、この報酬系ホルモンもまた、完璧なシステムではないのです。

報酬系ホルモンに異常が生じると依存症が発生します。

依存症。つまりは、脳の病気なのですが、脳内ホルモンの分泌に異常が起きると、正常な価値の判断が出来なくなります。

ガチャで異常な課金をしてしまうのは、依存症が原因です。

依存症が悪化するとうつ病などの精神的な病気に発展してしまう事があります。

その結果、最悪の事態として自らの命を絶つという行為に価値を見出す事があります。価値というのは生きていなければ享受出来ませんから、自殺と言うのは、価値と言う基準から見れば、完全に間違った行動ですよね。

わたしは、とある誹謗中傷で、うつ病になり閉鎖病棟に自分の意思で任意入院した事があります。

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