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やっと、さみしくなれたね

さみしいがどっかに飛んで消えてった。
こんなもの存在してることが間違ってる。
ない、ない、ない。なくていい。
誰も見向きもしないのだから。

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そんな僕の生き延びるための希望。
諍いやトラブルがあれば僕がどうにかしなければ!と調整役になること。
自分には問題などなくて、全てうまくいっているように見せられるいい子・できる子でいること。
それが僕にとっての生き延びる希望だった。

そうわかった時、同時にその役割が終わってしまうのだと知って、自分が砕け散っていく。
さみしい、さみしすぎる。
あまりにもあまりにも耐えがたくて、さみしさに震える。
希望が役割がなくなって、その底にあったのは、どっかに飛んで消えていったはずのさみしいだった。

さみしいをかき消して生きなければいけなかった僕の生きる希望。
それが役割を終えたときに、やっと自分のさみしい気持ちを感じられた。
さみしいを受けとめてくれる人がいなかった気持ち、さみしいを否定された気持ち、さみしいの行き場がどこにもなかった気持ち。

こんな気持ちを小さな子供がひとりで抱えてしまったらと想像すると、大げさでなく死んでしまいかねないんだろう。だからこそ、死なないための希望をつくりあげたのだから。

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それを今やっと感じられ、抱えられるようになったこと自体が回復のプロセスなのだとカウンセラーは伝えてくれた。
死ぬほどのさみしいの激流に飲み込まれていたから、聞いた瞬間はそれどころじゃなかったけれど、今になってその意味も理解しつつある。

今の僕には、さみしいを受けとめてくれる人がいる。
今の僕には、さみしいを否定しないで聞いてくれる人がいる。
今の僕には、さみしいを感じて言葉にすることができる。

さみしくてつらい。けれど、このさみしさを抱えて生きていけるから感じられるようになったってことなのかな。

生まれてきたことがさみしい、生きていることがさみしい、人間って心底さみしい、あまりにも耐えがたいほどさみしすぎる。僕が本当に人と分かち合いたかったのはそれだったんだな。

さみしいは不幸じゃない。さみしいのなかに豊かさがある。さみしいでつながりたい。

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