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『ケーキの切れない非行少年たち』④

宮口幸治著 『ケーキの切れない非行少年たち』という話題作について、批判的な考察をしています。詳しくは、以下をご覧ください。

本書については、様々な面で問題点があるというのが私の立場なのですが、本書を通底している筆者の思いとして「学校教育不信」があることは否めません。というか、少年院に来るような子どもたちは「学校教育の責任」と思っている節が各所にあります。しかし、少し考えればわかるはずなのですが、人が「犯罪を犯す」要因を考えたときに、それが全て「学校教育」に帰せられるかといえば、それは明らかに違うと言えるでしょう。家庭環境や生育歴、学校以外での付き合いだって大いに関係しているはずです。

仮に、人が犯罪を犯す要因が学校教育にあるとしたら、ほぼ全ての児童が通う小学校には、もっと犯罪者が溢れているはずです。このような点からも、筆者の論の進め方には問題点があるのです。

今回はそんな中でも、筆者の学校教育への勘違いを取り上げたいと思います。筆者は子どもへの支援は大きく分けて3つあるという主張を各所でしています。その三つとは「学習面(認知面)」、「身体面(運動面)」、「社会面(対人関係)」です。それも踏まえて、まずは以下の記述をご覧ください。

講演会では参加者の学校の先生方にときどき聞いてみます。
「先生方がこの3つの中で最終的に子どもに身に付けてほしいために行う、最も大切な支援は何ですか?」
こう私が問うと、殆どの先生が「社会面」と答えます。そこで私は続けて聞きます。
「では先生、最も大切と思われる社会面の支援について、今の学校では系統的にどんなことをされていますか?」
すると、殆どの先生が「何もしていない」と答えます。中には「子ども同士の間でトラブルになった時、その都度指導している」と答える先生もいます。

同書 p126

上記引用の冒頭、筆者の質問における日本語への違和感もありますが、そこは触れないでおきます。
筆者は、現在の学校教育において「社会面への系統だった教育」が行われていないことに対して問題意識を持っているようです。

筆者は「系統だった社会面への教育」とは、一体、どのようなものを想定しているのでしょうか。筆者が本書の中で述べる「社会面」は以下のように書かれています。

社会面の支援とは、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせることです。これらのどれ一つでも出来ていなければ、社会ではうまく生活していけないでしょう。

同書 p127

本書における筆者の考えへの、僕が抱く、大いなる違和感として、「出来ないものはトレーニングをすれば何とかなる」というものがあります。おそらく、筆者の頭の中には「完璧な社会面」というものがあり、それに向けてトレーニングをすれば、たとえ、発達障害や知的障害があっても身につけることはできる、ということのなのでしょう。

しかし、人間はコンピュータではありません。筆者の掲げる「理想の社会面」というアプリをインストールすれば、それを誰でも身につけられるという発想自体が、人間観として問題があるように思えます。

実際、社会を見渡してみれば、別に犯罪者を例に出さなくても、筆者の「理想の社会面」を身につけていない人はたくさんいるでしょう。犯罪者ではなく、発達障害も知的障害もない人の多くが「対人スキルの方法」や「感情コントロール」や「問題解決力」をしっかり身につけた上で社会生活を送っているわけではないことくらい容易に想像ができます。しかし、筆者は、長い少年院での経験から、この辺りの認識がズレてしまったのではないでしょうか。つまり、「少年院に来るような少年」と「筆者のような人間」という明確な二分法です。そして、繰り返しますが、この安易な二分法は、かなり危険な思考なのです。

社会面への「系統立った指導」というものが、私にはやはりうまくイメージできません。おそらく、筆者には「いつでもうまくいく対人スキル」とか「イライラにブレーキをかける感情コントロール」とか「どんな問題も解決できる問題解決力」というのがあるのでしょう。そして、それを系統立てて教えれば、それらが苦手な人でも身につけることができるのだと考えているのでしょう。

しかし、人間はそんなに簡単な生き物ではありません。いろいろな人間がいて、それぞれに課題があり、それと向き合いながら何とか生きているのです。もちろん、犯罪は許されるものではありませんし、発達障害や知的障害を持った方への支援はさらに拡充されるべきでしょう。

しかし、その方向性が「筆者の思う理想の社会面の獲得」と矮小化された時、それは、以前にも指摘した「できないものは社会にいられない」という「ナチスのホロコースト」への道となるのです。

「社会面が育っていない人に社会面を獲得させる」と同じくらい大切なことは、「社会面が育っていない人でも安心して暮らせる社会の構築」なのではないでしょうか。筆者の抱く「理想の教育」からは、どうしても「洗脳教育」の要素が垣間見えてしまうのです。