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ママと反比例 5話

 涙も枯れた響はうめき声を絞り出し先生の足元にうずくまった。争いに敗れたオスのニシゴリラそのものだ。
「職員室、行きましょう。職員室!」
「いや、だ…」
鼻水まみれの抵抗もむなしく、響はたくましい腕に引っ張られていった。今度は、麻酔を打たれたニシゴリラ。

残された一同は揃って響の行方を案じていたが、誰かがクレヨンを片付け始めると、みんなそそくさとそれに続いた。この後はおまちかねのお弁当の時間なのだ。幼稚園児にとって、誰かが泣くこと以上に、自身の空腹の方が一大事である。

 環は、皆の興味が薄れたのを見計らい、どきどきしながら、足元の桃色のクレヨンをそっと拾った。
(あ、よかった)
環はきゅっとクレヨンを握りしめた。心なしか、いつもより柔らかく感じた。
桃色のクレヨンが、割れたり、折れたりしていたら、環は悲しかった。クレヨンは、環に投げられた響の心のように感じたからだ。

ほっとしたと同時に、お腹が、きゅるるるうと健康な音を奏でた。環は机の小さなアルミの弁当箱を放り投げた。そして、想像しないように努める。
 ていばんたった、赤のトマト、緑のほうれん草の胡麻和え、黄色い卵焼き、桃色のでんぶが入った、カラフルが満ち満ちたお弁当のことを。徹夜で作ってくれた、ピカチュウのお弁当のことを。
 でも、もしかしたら今日は。こんな日だから。蓋を開ければ、そんなお弁当が詰まっているかもしれない。 

脆弱な希望を胸に、厳かに蓋を開ける。
それから、わかっていましたとばかり大きなため息を一つ吐き、黄色く、グロテスクな油を出した唐揚げに、箸をグサリと突き刺した。
(れいとう、ばっかり。どうぶつえんのどうぶつのほうが、おいしいのたべてるって)


 響と先生が戻ってきたのは、みんながほとんどお弁当を食べ終え、環が唐揚げを飲み込みながら、串に刺さったつくねを掴んだところだった。

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