転機

当時、日本最大のメディアコングロマリットにいた僕は、でも、雑誌が軸となっている自分のキャリアに疑問を持っていた。

彼女とよりを戻したいのが先か、「ネット」の会社に入ったつもりなのに、「紙」へと先祖帰りしているその当時のキャリアが嫌で転職をしたかったのが先か、はたまた、黒字会社とくっついては赤字転化し、また、違う黒字グループ会社とくっついては赤字転化してそんなのも何か嫌だったのが先か、そんな合併渦中で、「あっちの給料が高くてこっちは低い」とか、つまらない諍いが嫌だったのが先か、そんなの今となってはどっちか分からない。とにかく僕はこの先苦労するだろうなぁ、と思いながらも思い切って飛び出てみたのである。

ついでに言うと、やっぱ、紙で僕のキャリアが形成され、50位のどうしようもないタイミングで突然リストラをただきつけられるよりも、40だけど、されど40。今飛び出す方がまだ可能性がある、って思ったのもあります。

その後、大規模なリストラがあったみたいで僕の読みは間違ってなかったけど、多額の退職金をもらった彼らの方が幸せだったかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、です。

不思議なもので今でも同社のことは好きです。変な魅力のある会社です。まだ残り続け頑張る友人達のことは応援しています。

2011年Facebookがグイグイ上り調子の時、「よおしっ!僕はこの方面に舵を切ろう!」って決めてこれからは、自分は「ソーシャル」でメシを食っていくと決めて、翌月12月に毎年早期退職者制度で退職金上増しされるのに、それ目当てで辞めるのは女々しい!と変な男気を出し、ピッタリその前月で辞めた、たまりに貯まった有休も全く使わずに。。。(今の僕なら、退職金上増ししてもらうし、有休もちゃんとそれなりに使って辞めると思います。苦笑。)

著名企業からは、当時の僕の年齢、僕のキャリア=紙寄り、等考えてか書類で落とされてしまい、「まずは業務委託でスタートなら」、ってことで声をかけてもらった会社に行くことに決め、上京しました。もっとじっくりきめろよ、と言うご意見もあるかと思いますが、まー、そーなんですが、当時はSkype面接なども浸透してない頃、必ず直接会うのが絶対で、当時北の僻地にいた僕は、そう何度も東京に行くのも大変だし、勢いで決めてしまった。それが実情です。

その会社では、未経験領域だけど何とか経験積んで営業で、頑張ろうかなと思いましたが、社長自身がとてつもない営業マンで、当時の開発メンバーの数では、足りなくなるほどのお仕事を受注して、僕には居場所が無かった。

ある程度予想してはいたが、早くも訪れた迷走時代。やっちゃいました。。。

そんな時、声をかけてくれたのがうちのボスでした。今でも忘れないですが、すっかり自信を無くしていた僕を新宿の天ぷら屋に呼び出し、カウンターで天ぷらが揚がるのをぼんやり眺めながら、お互いの近況報告をし合った。その方は私の前職時代の同期で、私が今所属する会社の代表です。「うちきませんか!」と。ありがたかったですね。当時の僕のグズグズ感から及び腰になったのですが、「一緒にやりましょうよ!」と。感謝でしかないですね。実は今だから言いますが、当時うちのボスが視察に行っていたベトナムの写真がFacebookにアップされていて、海外旅行なんてほとんど行ったことなかった僕は、ぼんやりと「ベトナムかぁ、、」と、一体ベトナムには何があるんだろう?東南アジア??なんか、危険な香りのする怪しい響きだな、なんて、漠然としたことを考えていたという、そんな前提がありました。

次に続きます。

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