いよいよ、Thao(タオ)と働くことに

〇前回までのあらまし:
僕と交代予定の吉田さんから、強く懇願されました。「僕をベトナムに残せるようにサポートして下さい!」と。困った僕。でも、男だから、頼られたら助けるしかない。

〇今回:
実際、吉田さんを残す為の策なんて、そんな画期的なものが思い浮かぶ訳もなく、考えついたこと、、それは、
1)、吉田さん抜きの予算案を作る
2)、吉田さん入りの予算案を作る
(当然1)案より目標数値が高くなる)
でもって、情熱込めて、「2)案で行かせてください!!」と強く言い切る。

そもそも、この会社での予算案を作るのは初めてで不慣れな僕が、そんな中2パターン作らないといけないのは時間の無い中でかなりきついことであり、何度か修正をされ、社長からも、「吉田は給料〇〇円くらいで良いと言うけどさ、残すなら、そういうわけに行かないよね、、残す限りは今の給料を維持してやらないとなぁ。。。」と。

そして、キックオフミーティング前日の明け方3時頃、社長のいる飲み屋に行って、最終OKをもらった。面倒くさい人ではあるけど、こういうとこは人情味のある人ではある。
社長「田中さん、、、残してやりたいんでしょ!!もうさー、田中さんがそこまで言うならしゃーないやん。残さな。わかりましたよー、その代わり予算案は上がりますよ、彼の分の人件費分稼がなきゃですからね。」
僕「ありがとうございます!!!頑張ります!」3日ほど徹夜が続いたが、何とか、吉田さんを残してあげることができて、ホッと胸を撫で下ろした。

あとはベトナムに着任するだけ。吉田さんと二人三脚で頑張るっきゃない。

ようやく問題が片付くと気持ちと軽くなり、ベトナムへの旅立ちの準備に入った。移住くらいの気持ちで荷物を整理せねば!と覚悟を決めてる反面、実際、1年待たずして社長の逆鱗に触れ日本に帰らされた前例もあるし、、、どうすべきか??荷物持ちの僕の荷物は捨てるにしてもめちゃ多い。どうしたらえーんや。レンタルボックス借りるか!?

結論でた。
もう思いきって捨てるっきゃない。

〇家電製品→後輩早坂がひとり暮らしを始めたいと言っていたので欲しいものだけあげ、あとは捨てる
〇スーツ・服→大方捨てる。夏物2着だけ、冬物1着だけ、プライベートの服は気に入ってるものだけ。
〇本・DVD→この物件に越してきたのがわずか半年弱だったのでその際にかなり断捨離したのだが、今回はほぼ全てブックオフさんに売りに行った

そして、
スーツケース1つ+ダンボール1つ
にまとめ、アパートを引き払うことに。
最後の方はこんな感じ。
生活に必要最低限なものだけにして、
最終日にこれらを引き払った。

懐かしいなぁ。

そして、いよいよハノイに着任。

僕の部屋はこんな感じ。家賃は確か800ドルだったような。535 Kim Mã入ったところ。Phạm Huy Thôngの住所の物件でした。その日は、「我が家のベッドの筈なのに、魂は日本に置いてきた感じ」とでも言うべきでしょうか?所在ない心持ちで眠りにつきました。
吉田さんもご近所なのは大変心強く、初日の晩も家に顔を出してくれました。
その日は近所の、当時の名前はKim Ma Martと言うスーパーに買い物に行きました。見知らぬビールが嬉しくて、買い揃えました。

次の日の朝、
颯爽と歩いてオフィスまで行きます!
当時はまだ建ててる途中だった、nguyen chin thanh vincomを横目にしながら、

オフィスに着きました。
今はもう引っ越して別のところにいるのですが、当時はこのビルに入っておりました。

一階には、一応銀行が入ってて、しょっぱいビルでしたが、まぁまぁ、それらしく見えるビルではありました。
隣ではBanh Mi(バインミー:ベトナム風サンドイッチ)が売っていました。それは割合便利ではありました。
何と初回に!!挟んでいる新聞紙との間にハエが入ってると言う、当時の僕には衝撃的な事件があり、思い出深い初日の朝メシとなりました。
そして、不慣れな中の僕にとっては飛ぶように月日が過ぎ、日本で2年半研修中のAn(アン)君とThao(タオ)さんが帰任する日にちがやってきました。本来は3年間の予定だったのですが、ベトナム不慣れな僕の為に、研修を半年早め帰ってきてくれることになりました。日本語が話せるメンバーがいなかったので僕にとってはほんとにありがたい出来事でした。

今では考えられないことだが、同じ社内もほぼ付き合いの無かった当時のThaoは、僕の年齢が随分上である(17才上)こともあり、割かし僕に対しては気を遣っていたそんな出会いだった。
実はThaoとは日本でも同じ職場にいたけど、全く別部署だったので、殆ど交流はない状態だった。「明るくて元気な子」、と言う印象だけで、特に恋愛の対象にもならなかった。もう1回言うが、17才の年の差があるのだ。そして、僕は恋愛からは遠ざかっていた。「神様が導いてくれれば、付き合うこともあるかも?だけど、まぁ、もう恋愛なんかしないのかもな、いい歳(44才)なってきたしな、」なんて思っていた。
前の別れから約5年が経とうとしていた。

次に続きます

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