見出し画像

ちゃんと自分を大切に

ビクビクする警備員さん

ある日、私は公的施設に用を済ませに立ち寄った。
自転車で行ったのだが、駐輪場がすぐに見つからなかったので、そのビルの駐車場の入り口で立っていた警備の人に尋ねてみた。

「こちらには駐輪場はありますか?」

すると、警備員さんは緊張した声で言った。
「ありません。前はあったのかもしれませんが、今はありません。」

もう話しかけないで、という空気を感じたので、軽くお礼を言って、足早に立ち去った。
そこから、ビルの敷地内を50メートル程歩いたところに、駐輪場があった。

警備員さんに何があったか?勝手な推測

警備員さんの受け答えはやっぱり変だ。
すぐ近くに駐輪場を見つけたとき、私は確信した。

けれど、私には少し共感する部分があった。私も似たような感じで立ち回っていた時期があったから。
だから、警備員さんをただの変な人、不親切な人として片付けるのは違う気がした。

全部想像に過ぎない。
その事を前置きしつつ、警備員さんの受け答えの裏に、どんな事情があるのか、私の推理はこうだ。

  • 警備員さんは人と接するのが苦手。就職に支障をきたす程。

  • 勤務中に「昔は◯◯があったんだけど、今はもうないのかなぁ?」といった、その場所の昔の話で問いかけられ(怒られ)ドキドキすることがあった。

  • それ以来、似たような問いが来た時は、あらかじめ「昔どうだったかは知りませんが」と付け加えて答えるようにしている。

怒られるのは辛い。怒られたくないから、人と話す事が苦手。人も苦手。
でも、働かなきゃならないから、ビクビクしながら頑張る。何か言われて嫌な事もあるけど、自分なりに予防線を張って、頑張る。
警備員さんはそういう人なのではないかと思った。

『ちゃんと』に心が蝕まれる

「働かざる者食うべからず」
「大人なんだからちゃんと働いて一人前になんなさい」
「ちゃんと勉強しないと良い会社に入れないよ」
「ちゃんと座ってないと、笑われちゃうよ」

よくある窘めの言葉は、だいたい本人の都合を無視している。
ちゃんと働いて、ちゃんと勉強して、ちゃんと座って。そうしないと困るのは、本人よりも窘める側なのだ。本人には真っ当な理由があっても、それは逃げ、言い訳、と軽視される。

素直な人、優しい人ほど自分の都合を後ろに回して『ちゃんと』する。

あの警備員さんは、人と話すのが怖いという自分の中の困り事を後回しにして、『ちゃんと』働いているのではないか。
でも、無理が滲み出てしまって、ちょっと過剰に不親切な対応をしてしまうのではないか。
だとしたら、毎日辛いんじゃないか。
出勤の足取りはさぞ重かろう。
そんな風に思う。
(想像に過ぎないのだけども)

『ちゃんと』自分を大事にする

今は、『ちゃんと』自分を大事にしようというメッセージに溢れている。
やりたくない事を辞めてみるとか、明日死ぬとしたら最後にやりたい事は何か挙げてみるとか、SNSを見ていると色々やり方は教えてくれる。そういう情報にアクセスできて、実行できる人はいいのだ。
アクセスできない人、できても諦めてしまって実行しない人は少なくないと思う。そういう人が、結果的に変な人、面倒な人、使えない人として扱われてしまう。

勿体無い。
とにかく定年まで凌げりゃいい訳じゃない。
本当に安心していれば、リラックスできていれば、悩みやトラウマが解消できれば、もっともっと輝ける。

今はカウンセリングも身近。
医療も発達して長生きする時代。
『ちゃんと』自分を大事にして、そして働く、誰かの役に立つ。

それが当たり前になるように、自分の行動から変えていこう。
そんな事を考えるキッカケをくれたのは、そう、あの警備員さん。
ありがとう、一緒にがんばりましょう。
(ま、想像に過ぎないのだけど)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?