実録!モラハラサバイバー16

次は死のうと思った

子宮内膜増殖症という病気に罹ったのは、三兄弟が全員小学生だった時だったと思う。
とにかく大量の経血が数か月続き、「一晩安心」が売りのナプキンでさえ一時間も持たないという日々。まさに経血を「排出」するように、トイレでは大げさでなくドボドボと音を立て血を流していた。
もちろん貧血は半端なく、酷い時は寝返りでもクラリとした。血は酸素を運ぶんだと体で知ったのもその頃だった。二階へ上がるだけで高山病の様な頭痛に見舞われる。
堪らず近所の婦人科を受診すると、即大きな病院送りとなった。総合病院では初診の日に手術の日程が組まれ、翌週には手術となった。
子宮の内膜が通常の倍以上に膨れ上がっていたので、それを掻爬する(要するに堕胎をするのと同じように、内膜をこそげ取る)手術が行われた。
女性の身体は、この内膜が赤ちゃんを迎えるふかふかベッドのように準備され、それが月に一回剥がれ落ちる。それが生理。そしてまた新鮮なふかふかベッドを作るという作業が繰り返されているのだけれど、そのふかふかベッドがサイクルを無視してずんずん膨らみ、膨らみながら崩れ落ち・・・というのを常時無制限に続けていたのを人工的に一度きれいにしてしまおうという手術だ。
女性ならずとも、その乱暴な手術が体に与える影響の大きさは想像に難くないと思うのだが、案の定、手術後回復室でのたうち回った挙句、吐くものもない中、数度の嘔吐を繰り返し、即日退院した時は、ほとんど瀕死の戦士のような有様だった。

 その日の帰り道、車の中で夫が言ったのは「結構(お金)かかったね」という一言だった。「治って良かった」でも「大変だったね」でもなく。
 その時、私は心に誓った。次に体調が悪くなったら、病院に掛かって無駄遣いして迷惑をかけるより、ただ我慢をして死のう。
当てつけとか、そんなんでなく、ただただ本気でそう誓った。もう二度と、病気で辛い思いをした上、その治療に掛かった金額で非難をされたくない。こんな思いをするくらいなら次は死のう。泣きたかった。でも泣く体力さえなかった。ただ自分の命の対価は、うんざりするほど低いのだと、その日に思い知った。
 
 後年、いかなるハラスメントも甘受してはならないと気付いた時、一番にこの日の事が思われた。
「次は死のう」と思うような関係性は絶対に不健全だ。誰の命だって、お金には換えられない。
たとえ家計が苦しくなっても「治って良かった」そう言ってもらっても多分罰は当たらない。
そんな当たり前の事すら解らなくなるような環境に私はいたんだ。


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