アザレア(Azalea)

はじめまして。充足への案内人アザレアです。 出逢っていただき、ありがとうございます。 …

アザレア(Azalea)

はじめまして。充足への案内人アザレアです。 出逢っていただき、ありがとうございます。 ここから湧いてきたことを、ただ綴ります。 皆さまには、物語のようにお読みいただければ幸いです。

最近の記事

ひとりごと

あたりまえのこと 中心とか 0地点とか、 真我に止まるとか、 たくさんの言葉たちが溢れている。 それらは、 ネガティブな思考や、 好ましく無い状況を、 何とかしようとするための考え。 そもそも、 そんな場所はどこにも無く、 どんな何かなども無い。 中心も、 0地点も、 真我も、 全てが考えの中でのこと。 そこにあるのは空っぽ。 空っぽだから、 現れが起きることができる。 そしてそれは、自然に起きること。 風が吹くように、 雲が空に浮か

    • ひとりごと

      幻想って? 世界は幻想だから、 『自分らしく生きればいい』とかって、 スピリチュアルやってたときには、 よく耳にしていた。 自分軸で生きるとか、 自分を愛するとか、 他人の目を気にしないとかとか、、、。 自分が、 自分で、 自分の、 自分らしく、、、。 自分、自分、自分、自分、自分、、、。 それに加え、 三次元の自分は本当の自分じゃないとか、 高次元の自分の導きに従うとか、 真我の意識に止まるとか、 次から次へとやるべきことに追われ、 何かにならなきゃいけない衝

      • ひとりごと

        今などはなく、 ここだと言える場所もない。 空っぽだけど、 満ち満ちていて、 なんにも無いけど、 有るが在る。 得も言われぬこれは、 全ての全て。

        • ひとりごと

          大切なのはね、、、 誰かや何かを理解することじゃなくて、 誰かや何かを理解しようとしていることが、 そこで起こっているということ。 全てがそこでしかないのだから。 そこ以外はないんだよ。

          ノスタルジック

          遠い日のわすれもの ここに届いた風に感じた感覚が、 遠い日に忘れた『それ』だと教えてくれた。 忘れたことすら 忘れていた 何かが溢れ出す。 何とも言えない感覚は、 忘れていたときでさえ、 いつも一緒だったと深いところで理解する。 そして、 揺蕩(たゆた)う 心は穏やかさを取り戻し、 空っぽが満たされる。

          TwinRay

          統合物語。 ツインレイの統合はエネルギー的。 概念の外で結ばれるための試練はない。 そもそも、 概念の外が概念。 それされ越えたところにある。 そして、 相手と、自分がいる間は二極のなか。 すなわち、概念の中での出来事。 ツインレイ物語が続いている。 『ツイン女性は、 概念やしがらみ、価値観などの あらゆる不要なものを浄化し、 無条件の愛(ワンネス)となったとき 相手と結ばれる』 TwinRayの物語は魅力的。 だけどね、、、 この物語は、

          夏の思い出

          夏到来。 私は島出身だ。 家の真ん前は海だった。 玄関を出ると、軽自動車一台が通れる細い道と堤防。その先は海。小さな小さな湾のずっと向こうには四国の山々が見えた。 生まれた時から、潮の匂いと潮風がいつも一緒だった。子守唄は波の音。漁船のエンジン音と波の音のコラボもいい。強さは違えど、波のリズムは一定で、どんなときも落ち着きを運んでくれる。のどかでしかない風景に、自然と溶けていける、そんな場所で育った。 だから、海は行くものではなく、当たり前にここにあるもの。当たり前過ぎ

          ひとりごと

          自分軸と他人軸 自分軸とは、自分はどうしたい、こうありたいという自分の考えのもと行動すること 他人軸とは、他人の評価ばかりを気にして行動し、自分の考え方を持たない人 文章の意味で捉えると、 全く異なる在り方になるけど、 見方を変えると、どちらも自分軸。 他人軸だって、 『他人の評価ばかりを気にして行動し、  自分の考え方を持たない』 考えのもと行動をしている。 ねっ。 自分軸でしょ。 意味付けを外すと、 その時々の在り方でしかない。 だから、どう在

          私のいない世界

          経験。 どんなに素晴らしい出来事も どんなに辛い出来事も 気づきも 思考も 感情も 全ての経験が、向こうからやってくる。 そして、、、 それら全てが、ここで起きている。 掴み取ろうとしたことも 手にしたと思い込んでいる あらゆるモノたちも 思い出さえも すでに、ここには無い。 全ては刹那に過ぎず、 跡形もなく消え去っている。

          私のいない世界

          言葉 言葉って不思議。 同じ言葉を使っても、 同じがないんだって思うよ。 だってさ、、、 その時々でも違うし、 一人一人でも違うと思うから。 言葉には定義があるよ。 だけどね、、、 定義があるって思い込みが、 誤解と矛盾を生んでるんじゃないのかなぁ。 だからさ、、、 言葉を追いかけるより、 言葉の向こう側に行きたいよね。 『言葉が伝わらなくて、 言葉で伝えられなくて、 気持ちが言葉を追い越して、 理解したい思いだけが、溢れ出す。』

          私のいない世界

          私のいない世界

          相手の気持ちが、 どれほど分かったとしても、 『分かっている』と思うことが起きているだけ。 どれだけ言葉を重ねても、 本当の理解が生まれているかは、分からない。 そこで起きていること以外は、 知り得ることができないから。 どこまでいっても、 それは想像でしかないんだよ。 そして、、、 それを出来る誰かはいない。

          アザレア(Azalea)の物語

          最終章 自分はいない。 生命のうた。 非二元に出会って、『自分の死』が『自己エネルギーの終わり』すなわち『探求の終わり』と理解できた。だが、理解は理解でしかなく、理解したからと言って終わるわけではない。だからこそ『エネルギー的』と表現されるのだろう。 さらに『因果関係はない』と、言われてしまえば、何かをやったから『終わり』がくるわけではない。 終わらない旅を、ひたすら続けている感覚。 どうにかしようとはするが、どうしていいのか分からないもどかしさと、行き詰まり感。どれほど

          アザレア(Azalea)の物語

          私のいない世界

          『特別』は創らないとないけれど、 『奇跡』はいつも一緒。 ただ、ただ、、、 奇跡に出会う。

          私のいない世界

          物語は物語 『観念や概念が世界を創る』 スピリチュアルでよく聞く言葉。 これってね、、、 起きたことを認識し、 解釈を付け、 自分(私)だけの物語を創っているってこと。 この物語を『現実』と思い込んでいる 自分(私)はそれを必死で良くしようとする。 そして、、、 ようやく何かを掴んでも、 手にした充足は、 一瞬でどこかに消え去り、 また新たな何かを探し求める。 それは、終わらない探求の物語。 そして、それがどんな壮大な物語でも、 物語は物語でし

          私のいない世界

          答え探し 問題が起きると 『なぜそうなったのか』 『どうすればいいのか』 原因と結果、対策の答えを探しはじめる。 何かを使って調べたり、 人に聞いたり。 集めた情報を比べて、 考えて、 さらなる疑問ができあがる。 これを繰り返しているうちに、 悩みはどんどん膨らんで、 どうしたらいいのか、分からなくなる。 そんなことがあったりしない? だけどね、、、 このもつれた糸を解くのは、とっても簡単。 だってね、、、 悩んでいることに、悩んでいるだけだ

          アザレア(Azalea)の物語

          最終章 自分はいない。 非二元との出会い。 自分探しで行き着いた先で、待っていたのは自分がいないだった。悟りを追いかけていたときに出逢った『真我の意識』は、まだ自分でしかなく、分離の状態だったと腑に落ちた。確かに『真我の意識』に留まれば、かなり楽にはなれた。だが、やはりどこかで満たされていない不足感は蠢く。それを隠して、体の力を抜き『真我の意識』に留まるよう努めた。これこそが分離を強める要因で、分離が苦しみの正体など気付かぬままに。 観るものと観られるもの。 正に二極。

          アザレア(Azalea)の物語