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初めての"冒険"

2022.12.29-31
"秋川・多摩川 journey vol.4"

昨年の暮れ、羽田から檜原村(と言いつつゴールは武蔵五日市)に向かって多摩川と秋川沿いを歩いて遡るという企画に参加してきた。
2泊3日、総距離にして70km。

スタート地点の旧穴守稲荷神社大鳥居にて

この企画自体は今回で4回目。1回目の2018年は檜原から羽田を目指してボートで下り、2回目の2019年は檜原から羽田を歩いて下り、そして3回目の2020年は多摩川の源流・笠取山(山梨県)に向かって登ったのだとか。
わたし自身は今回が初めての参加だった。

川が森と街をつなぐ

ことのきっかけは、森に行きたくなるメディア『呼吸の時間ですよ』を一緒に立ち上げた 一般社団法人 ほぼ半分 のメンバーである青木さんと木田さんがこの企画の存在を教えてくれたことだった。
青木さんと木田さんは林業に携わっている。自分たちが普段仕事をしている場所である檜原村を流れる川が羽田まで本当につながっているのか、自らの身体をもって確かめたいと思ったのがきっかけでこの企画が生まれたらしい。2人は過去の3回のジャーニーにも参加している。

上の記事にも書かれているが、檜原村で伐り出した木材は大正期ごろまでは筏を組み、秋川から多摩川に流し、江戸・東京まで運んでいたのだとか。そうして森と街が繋がっているということを自分も体感してみたいと思い、参加を決めた。

生身の力と、生身の感覚

2泊3日、野宿しながら70kmを歩く。
この企画に参加することを友人たちに話すと、みんな揃って不思議そうにした。「なんでわざわざそんなキツい事しにいくの?」と。

私が参加を決めた理由は大きく2つある。
一つは上に書いたように、川を通して森と街がつながっているということを体感したかったから。人から話を聞いて「へえ、そうなんだ!」と思うのは簡単だと思う。でも、そうでない「一次的な情報」というものに、自分自身が普段から価値を感じているからだ。

そしてもう一つは、「生き抜く力」と「生きている感覚」を取り戻したいと考えているから
郊外に生まれ育った私は小さい頃から大自然に触れる機会がなかった。記憶にある中で一番自然に触れたなと思うのは、家族旅行で行ったキャンプ。でもそれもコテージに泊まるスタイルで、BBQこそしたものの、川遊びや虫取りなんて全くしなかった。大学院に入り森に足を運ぶようになって、ようやく少し虫への耐性がついたくらい。

自然は自分には予測できない・コントロールできない振る舞いをしてくる。上のインタビュー記事で養老孟司さんが言うところの「都市化された人間」である自分は、その振る舞いに対して動揺し、時に不安・不快な気持ちになってしまう。
環境問題に関心を寄せ日々の生活で実験している自分にとって、自然との距離を縮めることは大きな課題の一つであるとずっと考えていた。今回の企画は、水道や電気などのインフラに囲まれ、暖かい家でぬくぬくできる環境と距離をとってみるいい機会だと思った。

2泊3日の"冒険"

人生初の"冒険"は想像していたよりもずっと楽しかった。もちろん身体が悲鳴を上げていた時間帯もあったけれど、他の参加者たちといろんな話をしながら歩けたし、景色も移り変わっていくので飽きることはなかった。

3日間かけて川の下流から上流までを通しで歩いて感じたのは、それぞれのエリアの雰囲気の違い。

一番印象的だったのは下流域。土手の部分だけでなく河川敷にも大きな広場や道があって、ランニングする人、犬の散歩をする人、ただぼーっとしに来た人など、いろんな人が思い思いの時間を過ごしていた。
そしてその人間たちの生活の場と、川辺にいる生き物たちの生活の場が地続きになっていた。人々が土手にある階段で座って休んでいるのと同じように鳥たちが川岸に集まって日向ぼっこしていたり、穏やかな川の流れに身を委ねていた。

下流域を歩く仲間たち
下流域 河川敷のグラウンド付近で過ごす人々

中流になると河川敷の広場やコートの割合が減り、土手の道でサイクリングやランニングをしている人たちがほとんどになる。そして上流になると土手の道もなくなり、川沿いを歩く人数もぐっと減った。

中流域 土手の道をサイクリングする人
上流域 川と家々の距離が開いていく

歩く前は上流域の人たちの方が自然と生活の距離が近いと思っていたので、むしろ逆だった結果に驚いた。
川は上流域になればなるほど流れの速さや石・岩の粒度が大きくなるから、その環境の厳しさと関係しているのではないかと後になって考えた。

下流域はいわゆる「街」のエリアで、その分川沿いも人々が過ごしやすいようにきちんと整備されていた。気軽に足を運び、日差しや風にあたることができる、街の人たちにとっての大切な「居場所」になっていることを実感した。

それぞれの流域に使われ方の違いがありつつ、それでいて地続きなのが不思議な感覚だった。

歩き続けて気づいた身体の"クセ"

もう一つ気づいたことがあった。
それは自分自身の歩き方や姿勢の変化について。

幼少期から猫背気味だった私は部活で運動こそしていたものの、適切な姿勢や筋肉のバランスを保つことができず、何度か怪我に見舞われていた。
中学生の頃はバスケ部で足首と膝を負傷、高校生になるとソフトテニスでその膝を庇って続けたことにより、今度は腰椎を負傷。ヘルニアとなり部活を辞め、薬で治すことができず手術するに至った。

そのような怪我の経験があったことでピラティスに通うようになったり、普段の生活でも姿勢に気をつけるようになった。

今回のジャーニーでは初めから歩く姿勢を意識しようとしていたわけではなかったが、長い距離を歩き続けたことで、身体のどの部分に負担が偏っているかを体感した。
個人的に一番しんどかった2日目の終盤5km、右足の股関節に痛みがあった。ヘルニアになったとき右脚がダメになったので、おそらくその名残で右脚の踏ん張る力が左に比べて弱かったのだと思う。
図らずもまだ鍛え足りない部分が明るみになった。

とはいえもっと身体のいろんな部分に痛みが出ると思っていたから、右股関節にしか影響が出なかったという事実により、自分の姿勢が大幅に改善されてきていることがわかった。
これはかなり嬉しい出来事だった。

心強い仲間たちに支えられた挑戦

2泊3日フルで参加したのは私含め3人。
途中入れ替わり立ち替わり参加した人やテントなどの運搬をしてくれた人を含めると、全部で9人。
誰一人怪我することなく(後から炎症になってしまったという人の話も聞いたが)、無事に3日間の旅を終えることができた。

ゴールはあきる野の黒茶屋。近くの子生神社で記念撮影

この企画の参加を決めたときは正直なところ、歩くと言っても東京だし、もし本当にキツくなったら交通機関も使えるし、リタイアして家に帰ればいいや、、と思っていた。キャンプもほとんど初心者なので、困ったら他の玄人たちに助けてもらおう、、と。
そんなセーフティネットがしっかりあったからこそ、意を決して飛び込むことができた。

でもそれだけでなく、道中を一緒に楽しく話しながら歩くことができたからこそ、キツいという感覚を最大限減らして歩いていられたように思う。
初めましての人がほとんどだったけれど、みんなとても気さくで、一緒に過ごしていて心地よかった。

人生初、コンビニで屯。笑

心配していた野宿に関しては、耳栓をつけて精神統一すれば橋の下だって寝ることができるということがわかった。自分が思っていたよりずっと図太い神経をしていることがわかった。笑

定住者(?)も近くにいるところで寝泊まり。滅多にない経験

テントの設営に関してはダメダメで、周りの皆さんにたくさん助けてもらった。ギアを集めつつ、キャンプ力を身につけていきたいと思った。


「生きるために営む」「今、生きている」という感覚も、どんな状況に投げ出されても生きていくための「生き抜く力」も、今回のジャーニーで少しレベルアップしたのでは。参加してよかったと、心からそう思えた。

これで満足することなく、これからもいろんな仲間たちと小さな挑戦を重ねていけるように、自分を鼓舞していこうと思った体験だった。

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