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私は怒りを“可視化”してしまう ~怒りからの避難~

私の父はよく怒鳴る。

幼少期は私が怒られていないのに父の怒鳴り声が怖くてよく隠れて泣いていた。
いつ自分にその怒りが向けられるのか、怖くていつもビクビクしていた。

30歳を過ぎた今でも怒鳴り声には敏感。
敏感さを悟られないように、怒鳴り声にすぐ反応してもその方向に目を向けないようにしている。
つまり意識して無視している。
そうでもしないと怒りの感情に囚われそうになるから。
固まってしまうのだ。

最近は怒鳴り声を“観察”するようになった。
ただビクビクしているだけでは解決しないからだ。

父の怒鳴り声はまさに雷。
ビリビリビリっと電流が襲い掛かってくる。
部屋のドアを閉めていてもそう感じるのだから、感電死しないように毎回必死だ。

もし、怒りの感情が見えていたら…と、怒鳴り声の後の部屋(リビング)の様子を想像してしまうのだ。
雷が落ちた後の丸焦げになった部屋。壁もボロボロでもうすぐで崩れ落ちてしまいそう…

そのようなイメージをしたあと、父がいない時間にかならずすることがある。
自分の好きな音楽で“丸焦げになった部屋”を癒す、ということ。
つまり、“部屋の修復作業”をするのだ。

大好きな音楽を聴きながら、音楽の善いエネルギーで部屋を労わりながらリセットされていくイメージをする。
そうすると、自分の気持ちも落ち着いてくるのだ。

いずれは、父とは離れた環境で生活をしたいのだが、引っ越しなど大きく環境を変えるということは、私にとってはかなりの負担があるため、今の現状で自分にできる最善のケア対策を心がけている。

怒りの破壊力は凄まじい。
怒りの感情をコントロールできない人間の近くにはなるべく行かないことがベストであるが、避けきらないときのためにも、自分なりの防御を身につけておいた方が良いと最近は思う。

父と私は人の形をしている全くの別の生き物であると認識している。
同じ、ではない。宇宙人と捉える方が妥当かもしれない。
父は私とは違う、別の星からやってきたのだ。
それだけお互い理解できないのである。
でも、それで良いと今では思っている。
理解できなくても良い、仕方がないのだ、と思ったらラクになったのだから面白い。

雷は突然落ちる。
それは防ぎようのないものだし、仕方がない。
だからいつ落ちても大丈夫なように自分にできる最善の準備をしていつでも避難できるように生活をしている。

そう、自然災害と似ているのかもしれない。
怒りの感情はそれだけの威力があるのだ。





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