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のんびりしたらいいじゃないですか

いまから5~6年くらい前のこと。ふと「なんかもうこれはやばい」と思ったわたしは、人生ではじめて心療内科というところに行くことにした。

そのときのわたしは、もうとにかく「詰んだ」と思っていた。

これはもうやばい、なにがどうやばいのかわからないが、とにかく精神状態がやばい。とにかく、わたしはもうだめだ、みたいな。(人は余裕がなくなると、ボキャブラリーが貧弱になるんだなあとそのとき思ったのはよく覚えてる)

心療内科がなんなのかもよくわかっていないし、行ってどうなるのかわからないが、とにかくまあ行ってみよう。と、そんな感じだった。

簡単なアンケートに記入したあと診察室にはいると、お医者さんがいろいろ問診をしてくれた。「きょうはどうされましたか」から始まり、わたしの生活状況とか生い立ちとかを「子どものときはどんな感じでしたか」「じゃあ中学生のときは」「高校生のときはどうでしたか」「大学生のときは」「社会人になってからは」みたいな感じで詳しくきいてくださった。

わたしが、ああでこうで、このときはああでこうで、あのころはああでこうで、と取り留めなくこたえるのをお医者さんが「ふんふん、なるほど」と相槌をうちながらすごい勢いでパソコンに入力していく。ひととおりの聴き取りを終えたお医者さんは、いままでのわたしの回答を眺めながら

「そうですねえ、なるほどねえ、うんうん。追い詰めちゃうんですねえご自身を」と言った。

「そ、そうですか……?、追い詰めちゃってるんですかね」

「はい、追い詰めちゃってますね(きっぱり)」

「なるほど……?(まだよくわかってない) そうなのかな……? どうしたら追い詰めなくなりますかね」

「いやあ、もっとのんびりしたらいいんじゃないですか」

え。のんびり!? これ以上のんびり?

と思ったわたしは驚いて言った。

「え、わたし、充分のんびりしているつもりだったんですけど……」

「でもほら、いまのお話だと、ぜんぜんのんびりしてないじゃない? 少なくとも心の中は。もっとのんびりしたらいいんですよ」

た、たしかに……。

そうかあ、のんびりしたらいいのか……と、妙に納得した気持ちはよく覚えている。余裕がなく混沌としていたわたしにとって、「もっとのんびりしたらいいじゃないですか」は、これ以上ないくらいシンプルでわかりやすい回答だった。

以降、なんとなく心がざわつくと、あのときの先生の「もっとのんびりしたらいいじゃないですか」をふと思い出して、なんというか「シンプルであることって大事だよな」と思ったりする。あのとき、ふらっと心療内科にいってよかったなと思う。

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