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ちょっとしたこと。でも大事なこと。

新聞が私の中で貴重品になった。
台所のゴミを包んで捨てるのに使う新聞。
これまでずっと、妹夫婦宅から古新聞をもらっていたのだけど、先日またもらおうと思って連絡したら、新聞をとるのをやめたから古新聞が分けてあげられなくなったと言われたのだった。

これまで、新聞はたくさんあるものという頭でいたから何枚も重ねて贅沢に使ったりしていた。
しかし、新聞紙が簡単に手に入らないとなった途端に私の中で新聞紙が貴重なものになった。

それで今は一枚ずつ、大切に使うようになった。

最近は新聞だけではなく、なんでも大切にすることを意識するようになった。
ポストに投函されるチラシ。
以前は家に持ち込んだらすぐポイとゴミ箱に捨てていたけれど、今は新聞と一緒にとっておくようになった。

それから、ゴミについても考えるようになった。
プラゴミの袋にはお肉などが入っていたトレーとか卵のパックなどしか入れてなかった。
いちいちゴミの表示を確認するのがめんどくさかったし、汚れを洗うのもめんどくさかった。だいたいは燃えるゴミに入れておけば大丈夫と思っていたからプラの表示があるものも燃えるゴミに入れて出していた。

けれどふと、
「プラゴミって再生してまた使えるようにするためにプラで分類してるってことは、プラゴミを燃えるゴミに捨てたら再生できないやん💦」
と気づいたのだ(遅)

私、ゴミ増やしてた😨
と気づいて、それからゴミの表示をよく見て分別して捨てるようにした。
そして、ゴミの表示を見るのが最近はちょっとおもしろく、楽しい。

プラゴミの行方をあらためて考えてみるまでは、「そんな細かいこと気にしないでも大丈夫」と思っていた。

そういえば、大好きな随筆家の山本ふみこさんの著書にゴミの話あったよなぁと思い出し、そのエッセイを探すけれど見つけきらず、しかし探していたものとは違うエッセイを見つけた。過去に読んでいるのにすっかり忘れていた。

ごみの分別は、人間性、それももっとも大切な「品格」につながっているな、と、考えることがあります。


窓付き封筒のセロハンを剥がし、書類を閉じたホッチキスの芯をはずし、紙の部分だけを「ざつがみ」の袋にためながら、「品格」をかさりかさりと重ねていくところを密かに想像しています。

山本ふみこ『人づきあい学習帖』より


そして、ごみの分別は、ゴミを収集してくれる方へのマナーにもつながると思う。

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